封印された縄文

神武の東征、ヤマトタケル尊、坂上田村麻呂をはじめとした征夷大将軍。日本を統一するために蛮族を討ち果たしたと言われる。打ち果たされたのは誰か、我々多くの日本人の先祖、縄文人である。日本の歴史は天孫系と言われる弥生人と蛮族と言われる縄文人の争いだった。弥生人は縄文人を隷属させ、律令制を敷いた。中国の制度を参考に大和で日本人が行なったとされているが、中国で律令制を行なっていた氏族が日本に移住をし征服。統治システムを施工したと考えられる。律令制を見ると奴隷制と考えても良い物である。万葉集には租庸調の苦しさが歌われ、防人のために故郷を去らなければならない人の悲しみが歌われている。何故大陸を恐れなければならないのか?何故半島にちょっかいを出したがるのか?

何故中国から盛んに僧を呼び国中に寺を建てたのか?空海は何故日本中を歩き回ったのか?護国と言われるが、国とは何を指すのか?

日本には北から南から様々な民族が流れ込んだ。それらの民族が自分達が長く親しんだ土地に似た土地を求めて移動をした。時には民族間で争いがあり土地を追われた民族もいた事であろう。これが縄文時代である。縄文時代の土器は芸術性が高くダイナミクスを感じる。

弥生と言われる時代、平原では多くの戦乱が起き破れた民族が押し寄せた。九州から山陰にかけて進んだ遺跡が出るのはその為である。その様な民族が原住民を押しのけ、勢力を拡大しお互いに争う様になった。原住民を隷属させ奴隷として使い、中国にまで送った物もいる。平原の国と結ぶ事で優位に立とうとする。平原での争いが日本に移ってきた民族間の争いと関連する。

その中で九州から畿内に勢力範囲を進める部族、それが神武の東征であろう。神武の東征で奈良に入ったものの、各地の蛮族の力はまだ力を持っていた。これを奪いつつ支配をしてゆく。古墳時代と言われるのはその様な過程であったのだろう。大和飛鳥時代と言われる時代は新たに渡来してきた民族が朝廷内に加わり権力争いを繰り返す。そして相も変わらず蛮族は押さえつける。仏教の伝来もその一つである。多くの種族がそうである様に自然に近い生活をする部族は超自然的な力を備える。平原から持ってきた祭祀とはまた違ったものである。仏教を信仰するという事は自分達には祭祀を行う力が無く、守護を外注する事になる。そしてそれを日本中に広め、もともとあった呪術を封印させる。この事に成功した一派は力を得たが、中国、朝鮮半島の情勢にまた大きく翻弄された壬申の乱。

蝦夷の国を除きほぼ制圧すると律令制を敷き蛮族を奴隷化させた。律令制の本、平民と貴族の差、富だけでなく待遇の差を見ると奴隷としか考えられない。

つまり日本にいた縄文人は大陸からの渡来人に征服され隷属され続けている。未だに天孫と呼ばれる渡来人、その周りで権力争いを繰り返した貴族と呼ばれる人間、彼らに雇われた僧侶。今でも名前が残っている。護国が目的で作られた宗教これは蛮族の力を抑え、改宗させ自分達の為に祈らせる事が目的。国分寺は飛鳥時代に国中に仏教を強制する為に、天台宗、真言宗は平安京の守護の為に作られ、空海は日本中を周り寺を作り民を救ったと言われる。彼の目的は蛮族の力を削ぎ、渡来人の王朝を守る事。空海の出自には渡来人の影が見え隠れする。

いつまでもこの国の支配層は伝え聞いている。自分達は蛮族を統べる者だと。一番の問題は蛮族にその自覚が無い事。武士の時代一時的に彼らは困窮したと言われるが、巧みに武士を官位で釣る事で生き抜き明治に一気に力を取り戻した。幕末の外国人から見ると権力のある人間とそうでない人間は人種が違う様に見えたという記述が残っている。大東和戦争で負けようがそれは続いている。大東和戦争それは彼らの自己同一性の源である平原や半島と同一になる理想の元始められた物ではなかろうか?

蛮族を少数の渡来人が統治する、自分達と同じ渡来人を招聘し蛮族の習慣を破壊する。この東征以降続く戦後からの脱却が必要である。取り戻す、今こそ蛮族と呼ばれ続ける縄文人の手にこの国を取り戻す時。

欺瞞に満ち満ちた民放各社、国営放送と同義としか思えないのに公共放送と言い張り国民から収奪を続ける日本放送協会、社会の木鐸と言いながら位牌になっている報道機関。彼らは蛮族を懐古の対象としかみていない、蛮族から縄文人に名称を変えられあたかも滅亡したと思わさせているが、実際には虐げられる人々。それは大多数の日本国民である。

私は右でも左でもない、私見であるが右も左もこの日本という地球という土地から簒奪した物を如何に分けるかにすぎない。簒奪ではなく、もたらされる恵みを無駄なく分ける。

今こそ貨幣と共にではなく自然と共に生きる社会、縄文の復活を。

 

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