「食えなんだら食うな」

関大徹という禅僧が書かれた本である。どこで知ったか忘れたが非常に良い本だった。

 「医者という商売は、絶対に死ぬ人間をつかまえて、なんとか死なぬように手立てを講じる、ないしは患者にそういう幻想を売りものにする商売であり、その商売人が人間は絶対に死ぬという当たり前のことを言ったら、その医者は理不尽にも、不誠実という烙印を捺されるであろう。やはり死ぬ話は坊主でなければならない。」

 という一節があった。色々と気づかされる文であった。医者なんて失業した方が良いと常々思っている、医者をしていると如何に自分が無力かを思い知らされる。人は必ず死ぬ、必ず治る治療法も無い。標準治療と言われる物がどれだけ治しているか疑わしいから私は不確実性の中に飛び込み模索をしている。治らないと言われる病気が治る事がある、何とかなると思った人が亡くなる事もある。

 人は必ず死ぬ、数秒後に死ぬかもしれない、50年後に死ぬかもしれない。「死ぬ話は坊主でなければならない」と書いてあるが今日では坊主には死んでから連絡する。チベット死者の書を読むと僧侶は生前から死後の話をする。

 チベット死者の書のDVDがある。患者さんが点滴をしながら選んで見ている事もある。病を得るとは何か?生きるとは業を重ねながら解消していく事。そして己の業など無い事を知る事。

 「病なんて死ねば治る」と言う章もあるが、これが言えない。まだまだだなと思う。

 興味ある人はご一読を。