サチさんは起きている時間の4/9を会社の仕事をしています。通勤の時間に残りの時間の1/9、会社に行く準備や会社にいる時間のうち勤務時間に含まれない時間に1/3、食事の時間に1/9を使っています。残りの時間は何時間あるでしょう。
睡眠時間は6時間です。
サチさんは大学校を卒業され、極々普通の会社に就職アパートに住み、会社での憂さを晴らす為に貯蓄もありません。失業すれば数月で生活が成り立たなくなります。
サラは一日に勉強をする時間がありません。
サチさんは勉強はしましたが自立して生きる事を知りません。
かつての日本でも農作業や兄弟の世話で学校に通えない子供は多くいました、教師の説得によってその状況が改善されたと言います。
多くの女性が教育によってより良い人生を送る事ができたのも事実です。もちろん農作業や兄弟の世話に惑わされる事なく教育を受けた女性もいました。
今日、日本の子供はどうでしょう?学校に通う事は義務、その他に塾や習い事等々で朝から晩まで忙しく、文化的な生活を送っている様です。
朝はパンとジャムと卵、昼は給食、夜はスーパーのお惣菜。食事はほぼ工業製品。土の匂いなどしない清潔な生活。人間も工業製品並みの正確性を求められる。もし災害が起こって放り出されたら食料を集める事も火を点ける事もできない。
サラは水道、ガス、電気が無くなっても、携帯やスマホが無くても生きていけるでしょう。
良い教育を受けて先進国と言われる国で文化的な生活を送っている人間は生きていけません。災害にあっても口を空に向けてギャーギャー騒ぐだけ。
過ぎたるは及ばざるが如し。
パソコンで何ができても電気が無くなれば意味がありません。森や草原で食料を見つけ調理をする事ができなければ、どんなに文明人気取りでも只のばかです。私もできませんが。
何が人の生存にとって不可欠なのか、それを見失っています。
サラの状況は不幸かもしれない、かつての日本でも見られた状況です。無学のために貧しさから抜け出せないかもしれない。しかしサチの状況は脆弱な喜劇。悲しみと喜劇の間に何を見出すか。
我々が直面している脆弱さを直視せずに何を目的に援助をするのか。