生きるとは 死ぬ事
生きるとは 学ぶ事
学ぶとは 悩む事
悩むとは 悔いる事
悔いるとは 悼む事
悼むとは 振り返る事
反省は 猿でもできる
反省は 心が有りき
心から 身体が揺れる
揺れる心 魂乱す
身の揺れは 故は魂
魂が 閑やかなると
時は満つ 天の寿
生きるとは 死ぬ事
生きるとは 学ぶ事
学ぶとは 悩む事
悩むとは 悔いる事
悔いるとは 悼む事
悼むとは 振り返る事
反省は 猿でもできる
反省は 心が有りき
心から 身体が揺れる
揺れる心 魂乱す
身の揺れは 故は魂
魂が 閑やかなると
時は満つ 天の寿
梅が咲き誇る新春といえどもまだ寒い日に私の新刊が出版されました。タイトルは『最高の腎機能回復法』
季節もまさに腎臓の季節。腎臓を労るには良い時節と重なった事に感謝をし、多くの方にめでたいめでたいとお喜びを頂きまして嬉しく思っております。
この本は現在の日本で行われている腎臓病に対する治療に疑問を持った所から始まりました。そもそも腎臓病の原因はなにか?どんな場所で腎臓病が多くなっているのかを調べ、その原因を探していく中で様々な事を知り、この問題を個人の問題だけで片付けられない社会的な背景を持っている事が明るみに出てきました。
また腎臓に良いと以前から言われて来た事の中には実は害だったという事も調べる中でわかって来ました。ここにも社会的な問題が出て来ています。現在腎臓を保護すると言われ頻用されている降圧薬が腎臓を悪くする事がわかったのです。
慢性腎臓病という概念を厚生労働省は慢性透析患者数を減らすために導入したと言っていますが、導入を決めた時にはもう減少する事が見込まれていました。メタボ検診では全く効果がなかったと言われていますがその轍を踏まない様に細心の中止を払って導入時期を決めたのでしょう。最初から結果がわかっている事です。その予想が裏返されるとしたらコロナウィルスに対するワクチンです。このワクチンの接種は慢性腎不全を増やすのです。今後の統計に注視が必要になります。
そんなこんなの事を幾つかの分野について書きました。
また様々な人体に作用する物質の量と作用の程度が線形モデルでは無く非線形モデルである例を幾つかあげてあります。これは古くから言われる過ぎたるは及ばざるが如しがデータとして現れた事になります。
桜の花が咲く頃には多くの人の腎臓が元気になっている事を祝って。
久しぶりに映画館で映画を見ました。少し首が前傾になるなと思いながらも良い椅子で少し居眠りをしてしまいましたが、首が前傾になっている為か寝息も立てずにすっきりしてその後見られました。
主にワクチン後遺症の話とあのワクチンは妥当だったのか?という内容でした。内容は非常に悲しくなる内容です。こんなにひどい事が当たり前として行われていたのかと。対比はできませんが太平洋戦争の後にあの時代はあれで仕方なかった、一日で言う事がコロッと変わったと言われたのを体験した気分です。
太平洋戦争の総括もされていませんが、今回のコロナ狂想曲も全く総括がされていません。減税するのに財源がと言っていましたが、そんなのお構いなくじゃんじゃん税金を投入していたのを思い出すと財源なんて言うのは下げたく無い言い訳と思わざるを得ません。
私としては本当に大騒ぎする様なウィルスだったのかも含めて考え直す必要があると思っています。WHOがパンデミックだと騒いでいましたし、重症者がと騒いでいましたがその重症者は本当に純粋なCOVID-19だったのか?それを一度考え直さないとまた同じ事を起こそうとする輩がいます。
武漢での研究所がウィルスの発生源だと言われていますが、そんな研究所を日本に作っている。なんの為か?私はWHOに協力するなら南鳥島とか尖閣諸島に研究所を作って完全に隔離し何かあれば施設ごと爆破出来る準備をした方が良いと思います。人類の保健衛生に意義があり、貢献できるなら日本はその土地を無償で貸与するくらいしても良いのではないかと。何なら自衛隊機が訓練含めて物資の輸送を行なって良いと思います。
超過死亡の事にも触れていましたが、高齢者の死亡率が特に高くなっている様です。年齢調整をした後でも高いので高齢者が多いからという理由にはなりません。コロナ騒ぎを助長しワクチン接種へ誘導した多くの専門家と言われる人々や政治家にそしてそれらを放置した厚労省の意図がよく分かる映画でした。数年前に岸田元首相の異次元の少子化対策の決定打が高齢者への重点的なワクチン接種だと話した事がありましたが、これは正に国益に叶う事だったと思います。以前の人の命は地球より重いと言った時とは大分考えが変わったのだなと思います。
これまで感情から空想、空気まで話を進めてきましたが人が目に見えない物に大きく影響を受けている事がわかったかと思います。
ではそれに対してどう対処するのか?
氣を変える事。氣というと何か特殊な能力を持った人が出す印象を持っている人もいるでしょうが全ての人が氣を持っています。気が合う・合わない、気が強いとか気が弱いというのもその一つです。落ちるとか上がるとか言うのは前に氣が抜けています。
日本語を使っている人は日常的に氣と言う概念を用いているのです。
氣を変えるというと何か難しい事と思うかもしれませんが、皆さん日常的に行っています。お昼に刺身定食食べようと思っていたのに、メニューを見たら氣が変わって秋刀魚の塩焼きになったとか、そんな氣が変わる事は良くあるんじゃないでしょうか?ビール飲むつもりがハイボールになったとか、明日からダイエットするつもりが氣が変わって明後日からになるとか日常茶飯事です。これらは自分の頭の中の空想を変えています。
他には氣分が変わる。という表現もあります。氣分は感情に近い意味もあり、やる氣を起きる、怒る氣も失せる、意気消沈等の表現もあるのです。
氣と言うのは変わりやすい物です。東洋医学での氣も流れる物だとされています。
この氣は自分で変える事が出来ます。感情は空想の世界の中で増幅されますが、これは自分でこの感情は行き過ぎだと思えば止める事が出来ます。別にそんなに嫌な事でもない、悲しい事でも無いと思えば氣が変わり体も変わります。刺身定食から秋刀魚の塩焼きに変わったイメージで変えられるのです。
この氣を変えるという事は難しい事もありますが、慣れると変わり易くなります。自分の氣が変わると言う事は自分の空想が変わります。そうすると自分の空気が変わります。そうすると周りの人も変わるのです。
病気といいうのは病の氣です。この氣を変える事が大事な事の一つです。
日本には空気という言葉があります。場の気とも言われますが。個人の考えではなくその場の空気が支配をしてしまう。最近では新型コロナと言われたSARS-COV2による感染症騒ぎがそうでした。多くの医師がこんな対策はおかしいと訴えていましたし、現時点での科学的知見からもおかしい物でした。それまで医学は科学的知見に基づき行うとしていた方々まで空気に押し流されてしまいました。私の様に反対にそれまで科学的知見だけでは不備があると言っていた医師が科学的知見が無いと訴える何とも面白い展開が見られたのです。空気というのはそれだけ簡単に変わってしまいます。太平洋戦争前に戦争反対派が戦後にあの時の空気ではいか仕方なかったという事も聞いたり読んだりした方も多いのではないでしょうか?
最近はリベラル派の方が何かと気にされる一本締めや三三七拍子も日本人の空気で合うと言われています。
是も非もなく空気というものは人に影響を及ぼします。なんとなく賛成をする空気とか、おかしいと思いながら飲み込まれてしまう空気があります。
集団意識と言われる事もあります。個人の自意識と言われる空想をする空間の前にはこの集団意識が強固だったのです。それが現在にも残っています。
今の日本人の病気になったら薬を飲まなければならないけど治らないと言うのも集団意識の一つです。
ずっと飲み続けなさいは治らないの同意語です。
個人でも空気を作り出します。よく使われる雰囲気というのもその一つです。見た目や話し方等で醸成されます。実際はわからないのに何と無く怖そうとか優しそうというのは空気から受ける印象です。
病気が怖い、その情念を持ち続けると体内のホルモンバランスが変わります。それで病気が出来ます。病気が判明して不安になっても同じ事が起こります。
良くそれまで元気だったのに病気が見つかったら途端に具合が悪くなったという話を聞かないでしょうか?正に病名という呪文に取り憑かれたのです。
医者に死ぬよと言われた時に魔法がかかるのです。中世のキリスト教世界では火炙りにされるレベルの魔術です。
私はよく元気そうと言われますがそうでもありません、日々二日酔いと戯れています。ではどうすれば病気でなくいられるか?病気だと思わなければ良いのです。少々怠くても、頭が重くても気持ちが悪くても二日酔いだと思っていれば良いのです。酒飲みの特権かもしれませんが、例え肝硬変で死のうが自分が二日酔いで良いと思っていればそれで良いのです。下手に調べて肝硬変で酒飲むなと言われて死ぬより、二日酔いが続くなと思って死んだ方がよっぽど幸せな人もいるのです。
所詮人は自分の空想の中で生きている。他人の空想が自分の中に押し込まれることが往々にしてあります。その時代のその土地の空気という物がありそれに乗る事が好きな人も人もいれば、それを良しとしない人もいます。
家族というのも社会というのも国家というのも言わば集団空想です。その空想が好きも嫌いも善悪ではありません。今の様な固定化された家族観がない人も国家という物を空想だにできない人もいるのです。あるという空気が漂っているからある。
その社会の大多数が幸せならそれを全体として敢えて崩す必要はありません。それが全体の空気という物です。しかし現在では空気を操作しようとする人が多くいます。古くはナチスの宣伝省という物があり、今では多くの国や組織が持っています。つまり政府や営利企業や営利団体が自分に有利な空気を作ろうと画策をしているという事です。宗教団体までしています。顧客創造とか神になった気分かと思ってしまいますが、自分の頭の中だけでしていて欲しいと思う物が多くあります。個人までそれを行っています。自分の利得の為に人をコントロールしようとする空気が漂っているのです。
感情を操作し空想を抱かせ、自分に都合の良い空気を作り出そうとする存在が跋扈する、一条大路じゃなかった。現代。
前に情動と情念について書きました。情念というのは頭の中で作り出す感情です。頭の中では空想という事もできます。この様に文を紡ぎ出すのも頭の中で言葉を空想するからです。
漢字の通り空から作り出す想念です。白昼夢とかもこの一つです。子供の頃に授業中にする事もなく色々と空想をしていましたがこの空想ができると言うのは脳の中に物理的な物とは違う空間を作り出すという事です。そしてその空間を作り出すには意識が必要になります。この事が出来る様になったのは今から3千年から2千年前頃だったとされています。
有名な話ですがニューートン卿が林檎が落ちるのを見て引力を発見したと言われます。これは彼がリンゴが木から落ちるのを元にした空想から出てきた理論です。アルキメデスがお風呂から溢れる水を見た時に閃いた、ダーウィンが様々な動物を見た事から進化論を作り出したこれらも発見と言われますが、空想の産物です。
実際に目で見たものを頭の中で再構築しそこから理論を構築していきます。そもそも自分の目で見ている物も怪しい世界なのでそれを頭の中で再構築したものなど更に怪しい。一度は受け入れられた理論があとで間違いでしたと言うのは沢山あるのです。これらは理論を作った人も同じ分野の他の研究者も違うかもしれないと確かめられた後でも違うとなるのです。理系、文系に関わらず学者とか言われる方々は言わば空想の専門家です。今の量子力学と言われる分野は観測ができない物を扱っています。目で見えないが、ある筈の物に想いを馳せる。空想です。心理学など人の心という直接見ることも触る事も聞く事もできない物を間接的な知見から空想をして作り出しています。文学もそうです。詩を作るなど直接見ていない物を思い描いて言葉を生み出す。
これらは空想だから嘘だとか間違っているではありません。空想ができるから人の技術も知識も進歩しているのです。しかし慎重に検討を重ねても後で違ったという事も多くあるのです。アインシュタインの一般相対性理論も今では間違いと言われています。医学でも病気の基準値はコロコロ変わります。
天才と言われる空想の専門家でも後で理論と合わない事が見つかるのです。
翻って私たちの様な凡人がする空想を考えてみましょう。朝起きて今日は休みの日だったら良いのにとか、寝坊して遅刻しそうだと言うのも空想です。キッチンに立ち何を飲もうかと悩むのも頭の中で空想をしています。家を出て目的地までの行程を思い描くのも空想です。道すがら学校や職場で今日ある事を考えて楽しくなるのも気が重くなるのも空想です。お昼に何を食べようかと考えるのも、料理をする時に食材と調味料の組み合わせを考えるのも空想です。
空想が出来る様になった人間にとって多くの感情は空想から生み出されます。何か悪い事が起きた事を空想して不安に襲われたり、嫌な事を想い出して頭に血が上ったり、本当なら今頃宝くじが当たっていたのにと当たった人を羨むのも、煩わしい人間関係をどうしようと悩み恨めしく思ったり、亡くなった人の事を思い出して悲しさのあまり何で残されたのかと運命を呪ってみたり全て空想です。
「007は二度死ぬ」という映画がありましたが普通は死ぬのは一度です。しかし生きている人の頭の中では何度でも死にます。
空想ができる様になった事は人類の歴史の中では大きな転機となりました。しかし同時に空想ができるだけに頭の中で情念を繰り返し思い起こしそこから抜けられなくなる事もできる様になったのです。そして一度固まった情念はなかなか取り外す事が出来なくなるのです。
太陽が動いているか地球が動いているか?正解は地球が動いているとなっていますが、両方動いています。こんな単純な事でもあれっと思う方もいると思います。これよりも人の空想の癖は頑固です。
それまでの生きてきた環境や、時代、生まれ持った性質によってどんな空想をしやすいかは変わります。そしてその癖が病気や体調不良にも関わって来ます。
感情とは何か?何かわかっているのかわかっていないのかわからない概念です。人が何か体に影響が出る様な出来事に出会った時に感情が生まれます。目の前にお酒が出てきたら人によっては喜びでしょうし、場合によっては恐怖かもしれません。目の前で好きな食べ物を横取りされたら悲しみや怒りでしょう。目の前に好きな物を二つ出されてどちらか一つと言われたら悩むでしょう。これらは純粋な感情です。体には喜びは胸の高鳴りとして恐怖はおしっこが漏れる、悲しみは息が詰まる、怒りは腹が立つ、悩みは胃が痛むと体に変化が起こります。これらは動物にも起こります。ペットが喜んでいたり、悲しんでいたり、怒っている様子、怖がっている様子は見たことがある方も多いと思います。
これらの感情は例えば喜ばしいことが起きたから心臓が速く動いて、嬉しいのか?嬉しいから心臓が速くなるのか?元は前者です。
最近は知りませんが、初恋の描写にある人と出会って胸が高鳴るその反応がなぜ起きたかわからないけどこれが恋かしら?とあったりしました。人と会って心拍数が増える、それは嬉しい事。でも嬉しいとは違う気持ち。ここから皆が言う恋という概念かもしれないという憶測が生まれます。ここで大事なのは恋という概念が無ければ恋は無いという事です。人間も動物ですが、動物の雄と雌には恋はありません。相手に対して性的な刺激が起こればカップルになるのです。日本の王朝文化では相手に合わずに歌を送り合う事で恋が高じていく。言葉という概念の中で恋が生まれるという良い例だと考えられます。今でもお国柄で一瞬で性的な刺激を受けて即行動という文化もある様ですが、異国の文化です。
少し横道にそれましたが、体の反応を脳が処理をして感情が生まれます。という事は純粋な感情は体の反応が無くなれば無くなるという事です。
先ほど恋の話が出てきましたが、対象による胸の高鳴りも本人がいなくなれば消える筈です。しかし消えない事もある。それはもう単純な感情では無くなっているからです。体の反応から生まれた感情ではなく頭の中で生まれた思考が感情の様な物を生み、体に反応を起こす様になるのです。
本人は目の前にいないのに頭の中で想像するだけでハラワタが煮え繰り返る。それを忘れないために臥薪嘗胆。本人は死んでいるのに悲しみで息が詰まり、苦しくなる。地面に立ってるのに高い所にいると思うと足元がすくむ。仕事を辞めようか、続けような思い悩んで胃が傷む。憧れの人が目の前にいないのに心臓が早鐘の様になり響く。
これらは体に負担になると思いませんか?人の脳は空想ができます。そうするとその空想に体は従わされるのです。
悲しみに息が詰まり、低酸素。身体中酸欠です。喜びで脈が速くなり血圧上がれば血管に負荷がかかります。悩んで胃がやられます。東洋医学では怒りは肝臓に恐れは腎臓に影響を及ぼします。
動物にストレスがなくて良いなという人がいますが、人は何もない所から体に負担をかける事ができるのです。
情動と情念と言いますが、私は情動は外からの刺激による感情、情念は中からの刺激による感情と体の変化と考えています。あなたが怖いのは現実か空想か?
十月二十六日、二十七日と日本伝統鍼灸学会へ、テーマは「東洋医学の神髄に迫る 心身一如の氣の医学」
今回私は会頭の木戸先生に声を掛けて頂き「腸内環境と東洋医学」というタイトルで話をさせて頂きました。
腸内環境と五行の関連についてと、私の五行に関する私見、漢方や鍼灸が腸内環境を改善する事。私の考える簡単な腸内細菌の改善の方法を話させて頂きました。会場には私も読んだ事のある本の著者の先生や高明な先生方が多数いらっしゃって東洋医学に関する私見なんて言うんじゃなかったと考えましたが、医者がバカな事を言っているくらいに思って頂けたのではないかと思います。
テーマの中に「氣の医学」が入っており二十六日の鮎澤聡先生のお話を聞いて久しぶりに思い出した感覚があった。私も少しだけ話させて頂きましたが、人は人だけの存在ではなく自然との繋がりを考える必要がある。鮎澤先生は「愛の知」という言葉を話された。
木戸正雄先生は全てが氣であるという話をされた古典から現代のまでの文献を引用しながらの話を聞いていると忙しい先生はいつ本を読んでいるんだろうと思ってしまう。
一番最後の松田博公先生の日中の氣の概念の違いについてのお話を聞いていてはたと気づいた事がある。中国の氣は一般的な物質の元になっている素粒子、日本の氣はダークマターかも。
ダークマターを認知でき、操る事ができれば空間も作る事ができるかも。
それにしても面白い学会だった。色々とまたやってみたい事が出てきた。
日本伝統鍼灸学会の先生方ありがとうございました。
良く人は初めの見た目の印象で90%以上決まると言います。私もそう思います。私たち日本人は良く気が合うとか、意気投合とか、反りが合うとか言います。まあ反りに関しては性的な意味がある気もしますがまあそれは置いておいて、その様な感性が無くなってしまったから見た目の印象で決めてしまうのです。
ではどの様な見た目が良いのか?それは人によって変わります。私の様な表通りを歩けない様な人間はスーツを着ている人間が目の前に現れたら怪しいと思います。スーツで無くても俗に言う見目麗しい服装をしていると詐欺師に思えるのです。
面白い物で都会に行くとスーツを着ている人間が普通の人間で普段私が田舎でしている格好をしていると怪しい人間となってしまいます。
田舎にいると少々体にお絵かきがしてあっても気にしませんが、都会でお絵かきがしてあると物騒な人に感じます。
これはつまり見た目は全く真実の意味を持たないという事です。人が気でその人を見る事ができなくなっているのでその代わりに見た目に判断基準を使っているだけという事です。そうしたら現在の真っ当な感覚を持っているならそれを使わない手はありません。
昔で言う身だしなみが良く丁寧な言葉遣いをする人、人の為に何かすると表面上いう人そんな人が中身に関係なく信頼されてしまうのです。
そんな人間の不祥事ばかりです。人からお金を集めて民間企業なら計画倒産もあります、政府や自治体は無駄に税金を使っても変な理屈をつけて謝罪もありません。それが今で言う見た目を取り繕う人のやり口です。ですから人を見た目で判断をしてはいけません。言葉遣いで判断をしてもいけません。
詐欺師はそんな事百も承知です。そして本当の詐欺師は自分の手下に詐欺をしていると思わせません。それが本物の詐欺師です。
私は医療に関わっていますが、現場で仕事をしている人間の多くは自分が人を害する事をしていると思わずに人に良い事をしていると思い込んで仕事をしているのです。
そしてその思い込みは洗脳です。間違っている事を認められないのです。その洗脳をする詐欺師はいつも見た目から騙して来ます。詐欺師は自分にも洗脳をしているので自信満々です。
もし世の理に少しでも触れた人間は自分が何も知らない事を知っています。自分が無知な事以外に自信が持てる事は無くなるのです。
ムクナ豆という豆があります。日本では八升豆と言われていました。
この豆はパーキンソン病に良いと言われ使われて来ました。この豆の効果や効能について書きます。
インドのヒマラヤ山麓東側から中国南部の熱帯が原産の蔓性豆科の植物です。あまり聞いた事の無い名前ですが、江戸時代までは日本でも作られていました。八升豆という名前の由来は一つの株で八升と言われる程、豆が沢山取れるからです。熱帯が原産の植物なので西日本で作られていました。
この植物の特徴の一つがL-dopaという成分を含んでいる事で、これが様々な効果を現します。
一つが雑草の発育を抑えたり、虫を寄せ付けなくする事です。また豆科の植物なので窒素固定作用があり、緑肥としての効果もあります。
こんな事は多くの人に取っては何も関連が無い事かもしれません。
インドのアーユルヴェーダーという伝統医学で古来より使われてきました。パーキンソン病様の症状や関節炎、喘息、性機能の改善、疲労回復等に使われて来ました。
ムクナ豆というとL-dopaという印象が強いのですがその他にも様々な成分が含まれており幅広い病気に使う事ができます。
L-dopaというのはドーパミンという脳内の伝達物質の前駆物質です。ドーパミンが脳の細胞で作られる量が減ると体の動きが悪くなったり、やる気が減ると言われています。パーキンソン病もドーパミンが減る事が原因と言われています。
パーキンソン病では合成したL-dopaというドーパミンの前駆物質を主に治療として使います。ドーパミン自体を薬にしても脳の中には入る事ができません。よってL-dopaを摂取して神経の中でドーパミンに変わる事でドーパミン不足を補おうとしているのです。ムクナ豆には天然のL-dopaが含まれています。
合成されたL-dopaの問題点は神経の中でドーパミンができると活性酸素ができる事です。そうすると神経細胞が壊されていきます。つまり治療を続けると神経が減ってしまうので益々パーキンソン病の症状が悪くなっていきます。
合成の物と違いムクナ豆には抗酸化物質が含まれています。L-dopaと抗酸化物質がセットになっている事で神経細胞が減るのを防ぐ事ができます。
またただドーパミンを増やすだけでなくアセチルコリンの作用を増やす役割もあります。アセチルコリンは多くの神経で伝達物質として使われています。この働きが落ちると脳の働きが落ちてしまいます。
ムクナ豆を摂取する事で認知機能が向上するというマウスを使った研究もあり、うつ病にも効果があるとされています。
合成されたL-dopaは薬なので気軽に使う事が出来ませんが、ムクナ豆は食品ですから病気で無くても使う事ができます。何か少し元気がないとかやる気が出ないといった事にも効果が期待できます。
ムクナ豆のその他の効果ですが、抗糖尿病作用、抗酸化作用、抗腫瘍作用、降圧作用、抗菌作用、抗蛇毒作用が報告されています。
ムクナ豆を摂取する上で気を付ける事ですが、L-dopaの接種が多くなると吐き気や下痢を起こす事があります。人によって起こす量が異なるので、少量から始め徐々に増やすのが良いでしょう。また生の豆は固く、タンパク分解酵素阻害作用のある物質を含んでおり消化不良の原因になるので生で摂らない様にしましょう。
山口醫院では白ムクナ豆よりL-dopaの含有量の多いミャンマー産の黒ムクナ豆をパーキンソン病の方だけでなく、認知症が心配、やる気が出ないや元気が無いという人に勧めています。