感情と病気について

 感情とは何か?何かわかっているのかわかっていないのかわからない概念です。人が何か体に影響が出る様な出来事に出会った時に感情が生まれます。目の前にお酒が出てきたら人によっては喜びでしょうし、場合によっては恐怖かもしれません。目の前で好きな食べ物を横取りされたら悲しみや怒りでしょう。目の前に好きな物を二つ出されてどちらか一つと言われたら悩むでしょう。これらは純粋な感情です。体には喜びは胸の高鳴りとして恐怖はおしっこが漏れる、悲しみは息が詰まる、怒りは腹が立つ、悩みは胃が痛むと体に変化が起こります。これらは動物にも起こります。ペットが喜んでいたり、悲しんでいたり、怒っている様子、怖がっている様子は見たことがある方も多いと思います。

 これらの感情は例えば喜ばしいことが起きたから心臓が速く動いて、嬉しいのか?嬉しいから心臓が速くなるのか?元は前者です。

 最近は知りませんが、初恋の描写にある人と出会って胸が高鳴るその反応がなぜ起きたかわからないけどこれが恋かしら?とあったりしました。人と会って心拍数が増える、それは嬉しい事。でも嬉しいとは違う気持ち。ここから皆が言う恋という概念かもしれないという憶測が生まれます。ここで大事なのは恋という概念が無ければ恋は無いという事です。人間も動物ですが、動物の雄と雌には恋はありません。相手に対して性的な刺激が起こればカップルになるのです。日本の王朝文化では相手に合わずに歌を送り合う事で恋が高じていく。言葉という概念の中で恋が生まれるという良い例だと考えられます。今でもお国柄で一瞬で性的な刺激を受けて即行動という文化もある様ですが、異国の文化です。

 少し横道にそれましたが、体の反応を脳が処理をして感情が生まれます。という事は純粋な感情は体の反応が無くなれば無くなるという事です。

 先ほど恋の話が出てきましたが、対象による胸の高鳴りも本人がいなくなれば消える筈です。しかし消えない事もある。それはもう単純な感情では無くなっているからです。体の反応から生まれた感情ではなく頭の中で生まれた思考が感情の様な物を生み、体に反応を起こす様になるのです。

 本人は目の前にいないのに頭の中で想像するだけでハラワタが煮え繰り返る。それを忘れないために臥薪嘗胆。本人は死んでいるのに悲しみで息が詰まり、苦しくなる。地面に立ってるのに高い所にいると思うと足元がすくむ。仕事を辞めようか、続けような思い悩んで胃が傷む。憧れの人が目の前にいないのに心臓が早鐘の様になり響く。

 これらは体に負担になると思いませんか?人の脳は空想ができます。そうするとその空想に体は従わされるのです。

 悲しみに息が詰まり、低酸素。身体中酸欠です。喜びで脈が速くなり血圧上がれば血管に負荷がかかります。悩んで胃がやられます。東洋医学では怒りは肝臓に恐れは腎臓に影響を及ぼします。

 動物にストレスがなくて良いなという人がいますが、人は何もない所から体に負担をかける事ができるのです。

 情動と情念と言いますが、私は情動は外からの刺激による感情、情念は中からの刺激による感情と体の変化と考えています。あなたが怖いのは現実か空想か?

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