空想

 前に情動と情念について書きました。情念というのは頭の中で作り出す感情です。頭の中では空想という事もできます。この様に文を紡ぎ出すのも頭の中で言葉を空想するからです。

 漢字の通り空から作り出す想念です。白昼夢とかもこの一つです。子供の頃に授業中にする事もなく色々と空想をしていましたがこの空想ができると言うのは脳の中に物理的な物とは違う空間を作り出すという事です。そしてその空間を作り出すには意識が必要になります。この事が出来る様になったのは今から3千年から2千年前頃だったとされています。

 有名な話ですがニューートン卿が林檎が落ちるのを見て引力を発見したと言われます。これは彼がリンゴが木から落ちるのを元にした空想から出てきた理論です。アルキメデスがお風呂から溢れる水を見た時に閃いた、ダーウィンが様々な動物を見た事から進化論を作り出したこれらも発見と言われますが、空想の産物です。

 実際に目で見たものを頭の中で再構築しそこから理論を構築していきます。そもそも自分の目で見ている物も怪しい世界なのでそれを頭の中で再構築したものなど更に怪しい。一度は受け入れられた理論があとで間違いでしたと言うのは沢山あるのです。これらは理論を作った人も同じ分野の他の研究者も違うかもしれないと確かめられた後でも違うとなるのです。理系、文系に関わらず学者とか言われる方々は言わば空想の専門家です。今の量子力学と言われる分野は観測ができない物を扱っています。目で見えないが、ある筈の物に想いを馳せる。空想です。心理学など人の心という直接見ることも触る事も聞く事もできない物を間接的な知見から空想をして作り出しています。文学もそうです。詩を作るなど直接見ていない物を思い描いて言葉を生み出す。

 これらは空想だから嘘だとか間違っているではありません。空想ができるから人の技術も知識も進歩しているのです。しかし慎重に検討を重ねても後で違ったという事も多くあるのです。アインシュタインの一般相対性理論も今では間違いと言われています。医学でも病気の基準値はコロコロ変わります。

 天才と言われる空想の専門家でも後で理論と合わない事が見つかるのです。

 翻って私たちの様な凡人がする空想を考えてみましょう。朝起きて今日は休みの日だったら良いのにとか、寝坊して遅刻しそうだと言うのも空想です。キッチンに立ち何を飲もうかと悩むのも頭の中で空想をしています。家を出て目的地までの行程を思い描くのも空想です。道すがら学校や職場で今日ある事を考えて楽しくなるのも気が重くなるのも空想です。お昼に何を食べようかと考えるのも、料理をする時に食材と調味料の組み合わせを考えるのも空想です。

 空想が出来る様になった人間にとって多くの感情は空想から生み出されます。何か悪い事が起きた事を空想して不安に襲われたり、嫌な事を想い出して頭に血が上ったり、本当なら今頃宝くじが当たっていたのにと当たった人を羨むのも、煩わしい人間関係をどうしようと悩み恨めしく思ったり、亡くなった人の事を思い出して悲しさのあまり何で残されたのかと運命を呪ってみたり全て空想です。

 「007は二度死ぬ」という映画がありましたが普通は死ぬのは一度です。しかし生きている人の頭の中では何度でも死にます。

 空想ができる様になった事は人類の歴史の中では大きな転機となりました。しかし同時に空想ができるだけに頭の中で情念を繰り返し思い起こしそこから抜けられなくなる事もできる様になったのです。そして一度固まった情念はなかなか取り外す事が出来なくなるのです。

 太陽が動いているか地球が動いているか?正解は地球が動いているとなっていますが、両方動いています。こんな単純な事でもあれっと思う方もいると思います。これよりも人の空想の癖は頑固です。

 それまでの生きてきた環境や、時代、生まれ持った性質によってどんな空想をしやすいかは変わります。そしてその癖が病気や体調不良にも関わって来ます。

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