久しぶりに、庭仕事。庭仕事と言ってもほぼ藪漕ぎ。笹とヤツデ、低木が生い茂るのを切り、引っこ抜く。こんな日当たりの悪い所に何故芽が多く出るのか?槙の幼木も数本見つかった。
日当たりの良い草が生える様な場所で見た事が無い。
予々(かねがね)思っていたが、木が生えるのには強い日は必要ないのではないか。
何度かこの様な幼木や若木を引っこ抜いて移植したが日当たりの良い場所で成功した事が無い。まあ水をやる事の無いせいもあると思うが。
草を見てみても季節の移ろいで変わって行く。その時期春の草が芽吹き出す。その草が生えると次の季節の草と変わってゆく。これは草刈りを大してしないからわかる事。
うちの庭を見ていると笹が生えてヤツデが出る。その後落葉樹が出て、常緑樹、針葉樹。
これも前の持ち主から放ったらかしが出来たから観察出来た事。
若い植物には直射日光は適さない。
おそらく野菜も同じではないだろうか?他の植物の木陰で芽吹き、次第に大きくなり直射日光が当たる。
大きな木の下の藪の中で木々の声や鳥の声を聞きながら考える。私は何と独善的な存在であるかと。私が切りたいからと笹を切り、ヤツデを引っこ抜く。そして見つけた槙やアケビは切らない様に気を付ける。
植物は地面に日が当たらない様にしているのでは無いかと考える、独善的な私はその点には気を付けて藪を切り開いていく。禿山にしてはならない。
私たちは禿山を作ろうとしていないだろうか?そんな事を思いながら私の楽しい時間は過ぎ去ってしまった。
森を護る、これが護国であり私の楽しみ。
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食べ物とは?
人に取って食物とは何か?人は命ある物を食べる事で生きている。人生とは他の生命を奪う事である。何と罪深い事であろうか。原罪説ではそうなる。
人が植物や動物の命を奪う事で良い事があるだろうか?
人も含めて生物の目的は種を後世に残す事である。もし命を頂く事の感謝に出来る事があるとすればその種を残す事である。
今我が家には柿がたわわに実っている。種無しではない柿である。その柿の実を食べる事は木の命を奪う事ではないが、柿の木が一年をかけて実らせた実を頂く事になる。ならば果実を頂き種を蒔く事が感謝になるのではないか?
昨今食べやすいなど言い種のない果物が持て囃されるが、その様な果樹の無念さを慮る事が出来るであろうか?只々人の身勝手さに生きさせられる命を。
果樹だけに限らない、その他多くの一代限りに品種改良されてしまった野菜の無念さがわかるであろうか?
人が収穫しその全てを食べるのではなく一部を残し次の世代が残る様にしていく。その中で種に対する感謝が生まれ大事に育てる。
採集民族であれば種を違う場所に移動させる事が植物に対する行いであろう。
その様な中で土地が自分の物であるかどうか?土地が個人の物である国の物である。その双方とも間違えである。人は土地を作り出す事が出来ない。その場所にいてその環境の循環を廻す役割を担う事が人の役割である。土地も植物も動物も人の物では無い、人も含めて誰の物でもない。
生態系を豊かにする事、ただその点に於いて人は命を頂く事に対する恩返しが出来るのである。
コロナワクチン
コロナウィルス感染症とは何か?毎日何万人が検査で陽性になり数十人が死亡する。それもコロナウィルス感染症が原因で無くともPCRや抗原検査で陽性になれば。本当の感染者数も死者数も明らかで無い中で進められる戦い。2020年の年初からこれまでに10万人以上の超過死亡、つまりこれまでの予想以上に亡くなっている方がいる。これは戦後一番の惨事である。
水増しされたコロナ感染症で亡くなったとされる人の数は4万8千人。コロナで亡くなったとされる人のうち実際に新型コロナウィルスで亡くなったとされる人は1%程では無いかと言われている国もあるが、それにしても多くの方が亡くなっている。
2020年から何が変わったか?コロナに関連する出来事としか考えられず。ワクチンが原因で亡くなっているか、コロナによる社会情勢の変化で亡くなっている事になる。
日本では相変わらず感染拡大を防ぐ為と称して、この2年意味のない事が確認されている事を継続している。
太平洋戦争中の国民に意味の無い我慢をさせたのと同じ事をしている。戦時中に前線や一般国民に辛苦を舐めさせ軍や政府の高官、一部軍需産業が甘い汁を吸っていたのは広く知られているが、同じ事が起きている。医薬品業界・医療機関やPCR検査会社が利益を上げ、そのキックバックを政府や天下り団体が受けている。彼らにしてみれば美味しくて止められ無い利益が出ているのである。「我がコロナ利権は永遠に不滅です。」を願っている。
検査数を増やし偽陽性を増やし恐怖を煽る。質の悪い詐欺と変わらない商法を国を挙げて行っている。社会の木鐸としての報道機関は何をしているのか?毎日感染の恐怖を煽り政府の片棒を担ぐのみで、戦時中と変わりがない。
国民は政府と一部の業界の利益の為に犠牲を強いられている事に気がつかなければならない。この超過死亡を見ると国民にとって真の敵は新型コロナウィルスでは無く、誤った新型コロナウィルス対策を続けている政府である。そしてその様な事を推奨するWHOをはじめとする国際機関である。
私の周りには接種をしたくないのに家族の圧力、家族が勤める会社が非接種者と会うなと言ったり、知人からの同調圧力に屈してしまった方がいる。企業がその様な事を強いて良いのか?他人にその様な事を強要して良いのか?この様なコロナ利権を擁護する社会はさっさと崩壊してしまった方がよい。
山口醫院便乗値上げ
便乗値上げのお知らせ。
皆々様のお陰をもちまして山口醫院は予約の取りにくい状況が続いております。ありがたい事に診察枠を増やして欲しいという要望もあります。また事情に応じて診察時間外にも対応する事も出てきております。
診察枠を増やす事にやぶさかではありませんが、その為には他の業務を減らさなければなりません。現在外勤を数カ所で行い、講演等も行っておりますが。最も収益が低いのが山口醫院です。この状況で診察枠を増やす事は出来ず、また山口醫院への問い合わせに対する応対で日常に支障をきたしております。私の価格設定の間違えや問い合わせに対する応対が原因だと反省をしております。
諸般物価高騰、今後政府の借金を国民に肩代わりさせる為の税負担高騰に対応するにはインフレを目指すしかないと考えました。私が出来るインフレ寄与は山口醫院の診察料等を値上げです。この事で山口醫院の診察枠を増やす事が検討可能になります。これまでに受診されている方にはこれまでの診察料を適応致しますが。来月よりの診察料を当院のブログにある様に値上げ致します。
生活習慣を通じて自身と環境の健康を整える事に価値を見出せる方の受診機会を増やすべく今回の値上げとさせて頂きました。
なお山口醫院で行っている事は私が尊敬する医師や治療家の技術を組み合わせているだけです。私のオリジナルは何もありませんのでご自分で情報を集めて行う事が出来る物です。私のブログに全てではありませんが行っている事を書いております。それらが少しでも参考になれば幸いです。
皆々様のご健康とご多幸をお祈りしつつ。
菌ドック
私は腸内環境を良くする事を治療の主軸にしています。これまで腸内環境の検査を行わずに来ましたが、今回腸内の細菌を検査する菌ドックという検査を初めました。
これは腸内の善玉菌が多いか、菌の多様性が多いかや肥満を起こしやすいのが多いのか、エクオールという女性ホルモンと似た物質を作る菌が多いのか等を調べられます。
これまで多くの腸内細菌を調べる検査を見て来ましたが、この検査は比較的廉価で行う事ができます。
便中の遺伝子を調べる事でその菌がどの程度いるかを調べる検査ですから、嫌気性菌といって酸素に触れると死んでしまう菌を調べる事もできます。
悪玉菌が多いかよりも善玉菌の割合や、多様性を見られるので自分がいまどの様な状況にあるのかを知る事ができます。
腸内環境が悪いのかどうかは自覚症状からも推測する事が出来ますが、腸内環境が良い状態を保てているか、善玉菌の中でどの様な菌が多いのかは自覚症状だけではわかりません。特に酪酸産生菌という免疫の調整や、 ビタミンDの代謝に関わる菌がいるかどうかが判定できる事を私は重要だと思っています。
また腸内環境が良くなっている自覚症状だけではない客観的な指標にもなります。
この様な検査は一度やって終わりでは無く治療の前後や治療の家庭で定期的に見る必要が出て来ます。その場合にも使いやすい検査です。
自分の腸内の菌の多様性を知りたい、アレルギーを抑制する菌が多いかどうかを知りたい、太りやすい菌がいるかどうかを知りたい場合にも有用な検査です。
自由の放棄
人は何故自分の思想の自由を放棄するのか?これは子供の頃からの命題の一つでした。何故学校に行かなければいけないのか?何故教科書読めばわかるのに無駄な事ばかり喋る教師の話を聞かなければいけないのか?何故決められた道を歩いて帰らねければならないのか?不合理な事ばかり。家でも何故ブロッコリーを食べなければいけないのか?何故フニャフニャの卵を食べなければいけないのか?何故固すぎる卵が出てくるのか?そんな疑問だらけ。
お陰で学校では授業を聞かない、宿題はしない、気分が乗った時しかランドセルの中身を変えない事を続けました。ランドセル忘れて学校に行った事も。名札も嫌いだった、今も嫌いだが何故自分の名前を触れ回って歩かないといけないのか。俺は選挙の立候補者ではない。そんな全てが嫌いだった時から自由を保つ事が大事であった。
私の自由を奪おうと大人達は一生懸命だった。下らない宿題をやれだとか毎日ランドセルの中身を入れ替えろだとか。しかし隣の席の子に教科書を見せて貰ったり消しゴムを借りたりして助けられていた。大人という自分とは違う次元の存在を前に自由を手放す事を学んでいく同級生を傍目に出来るだけ好きにした。
人が自分の生きていると考えている場所よりも高位な場所にいると思う存在を設定した時に人は自由を手放す。神などという人よりも遥かに貴い存在があると設定したした時点で神の前で自由を手放す。牛を食べるなとか豚を食べるなとか四つ足を食べるなとか。そんな事知った事では無い。
多くの人があの人は偉い人だと言っているからその人の言う事を聞く、自由の放棄である。その人間は本当に偉いのか?私が子供の頃に見た様に虚像ではないのか?その問いを発し続ける事が自由の確立である。
自由と民主主義陣営などと偉そうに西側は言っているが、政治家や政府の言っている事を疑わずに信じているだけで自由ではない。自由とは全てを疑い自分で答えを出す事である。どんなに考える事が苦しくても考える事を手放してはならない。そこに自由が生まれるのだから。そして神と言えでも自分より偉いと考えてはいけない。もし本当に世界を創造した神がいたとしたら個々の人間など構いはしない。
人が神を創造した時に神と人という階層が生まれる。そうすると神が人間を支配するとしたら、人は何を支配するのか?動物を支配する、植物を支配する、神に近い人間が神と遠い人間を支配する。つまり農業にはすでに支配の構造が組み込まれている。
日本の歴史でも今より自由の少なった時代は多くある。なぜ好きな着物が着れないのか?何故やりたい職業に就く事ができないのか?身分がとか言われていた時代と今は違う。何故手に入れた自由を手放すのか?それも意味の無い理由で。自由平等を謳うなら意味の無い事で人の自由を奪ってはならない、そして自分の自由を手放してもならない。他人の考えなど糞食らえ。人の自由を奪う神も糞食らえ。自分で考え続ける事が最も貴い事である。
ビタミンD
ビタミンDというと骨という印象が強いと思います。しかしビタミンDには他にも免疫に関わる作用や脳の働きに関わる作用があります。
冬季うつ病という冬になると気が晴れないは日光に当たる事が少なるなる事で引き起こされると言われ、高緯度地域では人工の光で太陽に当たる時間が少ないのを補おうとしています。
免疫というと今一番気になるのはCOVID-19です。
ビタミンDの中の25(OH)ビタミンDと言われる型の血中濃度が高いか低いかで感染した時の重症化の危険率が14倍も違うというデータがあります。この効果はワクチンを凌ぎます。オミクロンに対する3回接種の入院予防効果は最高でOR0.6です。先ほどのビタミンDはOR0.071です。重症化と入院予防は同じではありませんが、入院した人の中に重症化した人が含まれるので重症化予防の方が比率は下がる筈です。それでも9倍弱ビタミンDの方が効きます。
ワクチンの面目丸潰れです。
ビタミンDが必要とわかっても発症してからじゃ遅いと思った方。遅く無いのです。他の治療をしながらですが、ビタミンD3を飲んだか飲まないかで飲んだ方の重症化率が13分の1になりました。
他にもマグネシウムとビタミンB12 の併用で重症化率が下がったという研究があります。
予防にも治療にもなるビタミンDです。普段から日に当たるとよいです。太陽の有り難さが身に沁みます。色も染みますが。
干し椎茸や乾燥きくらげがビタミンDが多いと言われますが、寒い海を泳ぐ魚にもビタミンDが多く含まれています。
日の下を歩くのが憚られる方は食事でも摂取できます。
子供のワクチン
子供のコロナワクチンについて様々な事が言われていますが、私が最もまとまっていると思うのは泉大津市の南出市長の発言です。
https://www.city.izumiotsu.lg.jp/material/files/group/33/202203110511.pdf
新型コロナワクチンの接種は強制ではない事と、接種を希望しない方に接種を強要したり、行動制限を求めたり差別をする事を決してあってはならないと言っています。
またワクチン接種の感染予防効果や中長期的な人体への影響について明らかになっていませんとも書かれています。
リンクから是非原文を読んで頂きたいと思います。
市長と言う要職にありながらこの様な発言を行う事を尊敬します。
厚生労働省のホームページにも同様の記載が端の方に他の記述と比べると控えめに書かれています。これは大人も子供も同様です。
オミクロン株が出現して子供の感染者が増えていると言われていますが、ではその影響はどうか?厚生労働省が出している表を見ると20代までは陽性者の死亡率0.00%以下です。そして現在のワクチンの効果は今までに比べても下がってきています。前は95%効果があると言っていましたが、現在は60%台です。厚生労働省の公表しているデータでこの数字です。ニューヨークのデータでは5から12歳には12%の感染予防効果しかないとされています。
そして小児がワクチンをうつ事で他の年齢層に感染者数が減ると言われていますが、これは数理モデルを使った試算です。8割おじさんと言われた西浦教授が使ったのも数理モデルですが8割人の動きを減らさなければ数十万人が死ぬと言いましたが見事に外れました。
これまでインフルエンザワクチンでも集団免疫というのは獲得できた事はありません。今回のオミクロンに関しても7割の接種で感染予防効果があるのなら今の日本の摂取率からみると集団免疫がある筈です。ワクチンによるRNAウィルスに対する集団免疫というのは未だに証明された事が無いのです。
副作用の報告を見ると若い方が症状がでやすい傾向にあります。海外では小児でも接種後の死亡例が認められていますし、重篤な副作用の報告も認められます。
海外での未成年への接種で心筋炎や心血管障害が増えるというデータもあります。心筋炎は一回の接種でしていないよりも13倍多く、2回接種すると130倍になるとされています。心筋炎は治療後でも長期的に影響が出るとされています。頭痛や接種した部位の痛み、発熱、倦怠感も認められます。実際に感染したとしても数日で治ります。ワクチンを打ったよりも軽く終わる、そしてアナフィラキシーやスパイク蛋白の長期的な影響の可能性もありません。この点が重要です。
コロナによる死亡よりもワクチンによる死亡が多いのではという記事も見られます。そもそも基礎疾患の無い子供はコロナで重症化も死亡も極めて稀です。そこにこれまでのワクチンより副作用の起こりやすいmRNAワクチンが使われたらそうなる可能性が予見されます。
これが有効性が低いのにも関わらず行われようとしています。お国の為と我が子を戦地に送り悲しい思いをした母親がどれほどいた事か。コロナに対して有効とは証明されていない、そして自身にはリスクの極めて低いにも関わらず副作用を起こす可能性の高いワクチンを何故するのか?健康な子供の場合実際に感染したより重い症状を起こすワクチンです。
厚生労働省のホームページを見ると子供に対するデータは少ないため、リスクとベネフィットを考えてと書かれています。さらに打たない事で不利益を被る事は無くその為の相談窓口もあります。
ワクチンを接種しない事で不利益を被りそうな時は、政府がその様な事をしてはいけないと言っている事を思い出しましょう。今良く言われていますが、子供や自分の命を守る行動です。他人のでは無く自分の命です。私は普段の生活で健康を維持する事が最も大事な命を守る行動だと思っています。
自分が守らなければ誰も守ってくれません。
最後に泉大津市の南出市長の動画です。
https://www.city.izumiotsu.lg.jp/sityounoheya/siseihousin/singatakoronakanren/8424.html
伝播障害
コロナワクチンを打った人に打っていない人が近づくと伝播傷害を受けると言われています。目の痛みや結膜出血、蕁麻疹や皮下出血、不正出血、口内炎、頭痛、倦怠感等の症状を訴える方がおり、症状に再現性がある事から事象として認めない訳にはいきません。
私自身も目の痒みや倦怠感を起こす事があり、診察中に困る事があります。
では何がこの現象を引き起こすのか?スパイクタンパクなのか、アセトアルデヒドなのか、窒素酸化物なのか、波動なのか?
これまでの経験から当院では5ALAや原子状炭素を使うことで症状の改善が認められる事が確認されています。こんずきんちゃんというウィルス対策用の飴も症状改善効果が認められています。すみれという電磁波対策で作られたクリームで症状が改善した方もいます。
伝播傷害の予防としては物理的にスパイクタンパクの暴露を避ける。人と距離を置くという事、粘膜が影響を受けやすいので粘膜の保護をする事。スパイクタンパクがACE2受容体にくっつきにくくする方法も必要になります。
令和四年元旦
謹賀新年
今年の正月も無事に迎える事ができました。それもこれも当院を支えてくださった皆々様のお陰さまです。今年一年皆々様のご多幸をお祈り致します。
今年の大晦日から元旦にかけてこの一年を占っていました。先ほどご多幸をと書きました。幸せというのはどこに源があるのか?忘れがちですが、己の中にあります。人はどんな環境でも幸せになれると言いますが、それは大多数の方にとっては違うと思っています。劣悪な環境で幸せを感じろと言っても聖人君主でないと難しいでしょう。反対に恵まれた環境にあっても幸せを感じない人もいます。
人と人が歪み合っていては良い事をしていたとしても幸せにはなる事ができません。
柔よく剛を制すと言いますが。剛と剛がぶつかっては双方傷ききます。それでは幸せにはなりません。
そしてその事は健康にも関わります。どんなに健康に良い事をしていても心に恐れが強かったり、怒りが強くても病気になる事があります。人と競うのではなく和の精神でこの一年を過ごす。