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八重山へ

八重山へ。石垣へ到着した夜より雷鳴轟く。泡盛と海ぶどう、もずくのお陰で雷神の庇護を得た私は知らぬ事だが一晩中稲妻が走っていたらしい。

 翌朝曇天の下、同行者に私が雨男だと言われながら船に乗り込み西表へ、海上は八重山なのか千葉なのか判別のつかない海の色。日本一のマングローブをボートで分け入り板状根を拝むと晴天に。

 西表でのガイドさんが語るには島の90%がジャングル、西表山猫が車で轢かれる事故が多く保護のために作ったトンネルのカメラに人が良く写るらしい。さてはイリオモテヤマネコは猫では無く人が化けて出た化身に違いないと思いながら由布島に牛車で渡る時には快晴に、由布島はかつてマラリアが無いという事で住人がいたが、台風と高潮が重なり島全てが浸水した後は無人島になったとの事。暑いと思いながら歩きマラリアを思う。Tシャツにショーツにサンダルで歩いていた、蚊の格好の餌食。今はいないが発症するのは帰ってからだし国内だから検疫も無いし何とかなるか。

 しかしこの地ではマラリアにより無くなった集落があったという。強制移住により移住させられマラリアに感染。あちらこちらで手作りの黒糖を売っているが全てはこれである。黒砂糖など主食になる筈もなく商業用の作物である。自分の食べる物では無く税として、金になる物として作ったサトウキビ。サトウキビ畑が全く違った様相を表す。

 由布島では白い砂浜を初めて歩いたがサンゴのかけらが足を心地よいより強く刺激をする。 竹富島へ移る海路は行きはとうって変わり青い空に、やはり私は雨男では無いと自信を持つが今日同じ場所にいる人間は数多く晴れ男は私では無い可能性が高い事も考えずにはいられない。一つ言える事は私は傘男では無い。雨が降っても傘を持ちたく無いから。傘男になるくらいなら雨男になった方がマシだ。

 竹富島は珊瑚の石塀と赤瓦の屋根、季節を問わず咲く花が目玉となり観光客が押し寄せるという。観光客の私が言うのも憚れるが観光客は島に金と煩悩を落としてゆく。私も普段、人の健康になりたいと言う煩悩を相手に商売する事がある。私は健康や病がより高い見地に立つための道具となればと思い仕事をしているがそうとはならない事も少なくは無い。

 竹富島の静かな生活を観る人により竹富島の静かな生活は破壊された。

 石垣島へ戻り御神崎へ日の入りを見に途中までは綺麗な夕日を見られたが、途中で雲に隠れてしまった夕日。夜は島の山菜を食べられる店に行き泡盛と各種山菜料理と豆腐料理を。山菜は薬草であり食物である。各土地に根ずく医食同源を学ぶ。

 帰りは運転代行を利用した。運転手は学校を出た後に日本各地へ行き仕事をした後帰って来たと言う。島にいても本土にいても将来が見えないなら島に戻る。閉塞感に満ち満ちた日本の現状が見える。

 翌朝シトシトと雨が降るなか宿の周りを散歩する。美しい花々、パパイヤやバナナ、海藻に恵まれた島でなぜサトウキビなど作らなければならないのかをオリオンと泡盛でトウフヨウになった脳で考えた。

 この日は石垣島でトライアスロン大会が行われており、参加者が泳いで自転車乗って走ってと何をしたいのか理解不能な事をしている為交通規制がかかっていた。己の生存能力を試したいなら交通規制の無い道路を運を信じ信号を突っ切って走って生き残った方が良いと思うしハブのいる原っぱを走った方が良いと思うのだがと思いなら笑顔で参加者に手を振る。私の罰当たりな考えの為か競技中雨が時折強くなりながら降っていた。私は規制を避けながら車で移動し石垣窯へ。石垣の海の色を再現すべく作った焼き物に魅入られ買ってしまった。この作者には煩悩の先が見えているに違いないと私の煩悩が語りかけた。全て煩悩の作り出した幻影かもしれない。

 午後には縁があり紹介いただいたお宅へ。石垣の歴史や文化、風習を教えて頂いた。

 その後川平湾へ美しい景色の下珊瑚をはじめとする海洋生物が激減していると言う。その原因は観光ビジネス。ああ私は何と罪深い存在なのか。『観光客』その罪深さに我が身は打ちのめされる。

 この自然豊かな八重山、季節を問わず果物は実を付け、珊瑚の海に魚が群れる。日々の糧を得るには本州より労苦は少ない筈である。サトウキビ畑は日々の糧では無く税のために作られた。本州に於いても米は作っても農民の日々の糧にはならなかった地域があると聞く。何故人が生きているだけで搾取をされなければならないのか?搾取をされたならそれに見合う物があるのか?人に基本的人権があるとすれば、最低限は只生きる権利である。日々歩き食物を見つけ食べて寝る。庵を結ぶくらいの権利と野で用を足す権利もあっては良いのでは無いだろうか?全ての人が何故金を稼がなければならないのであろうか?外で用を足すだけで罪に問われるなら人は猫に劣る生存権しか与えられていない事になる。

 人は自分の食べる物を探し生きる。自分が食べる物以上の物を得れば分ける。

 他人が儲ける物を作る。自分が生涯食べるに十分な物は得られない。しかし生きているだけで金を撥ねられる。サトウキビは撥ねられる為に作らされた物だ。

 世界の人々が生存権を奪われ、只生きるだけで労苦を強いられる社会。この縮図が美しい景色と共に見える。個人が生きる糧を得る権利を税という名目で奪う権利が為政者にあるのだろうか?島によっては人口増による税金を逃れるために妊婦を崖から落としていたという。平成は徴税率の上昇による消極的な口減らしが出生率低下として現れた時代であった。


   空とは空では無い、空に見えるだけ。

 人が認識できる物の多くはエネルギーです。触覚には温痛覚と振動覚が含まれこれは振動を感じます。振動は100Hzほどまで感じると言われます。熱や痛みを感じるのもエネルギーです。

 聴覚は20,000Hzまでと言われていますが、もっと高い音も感じると言われています。

   光もエネルギーです。人が光として完治できる周波数は限られていますが、光として完治できる紫外線は人の肌にエネルギーを与えビタミンDの合成をしたり、メラニンを作る刺激となり、度が過ぎると火傷の様になります。赤外線も目で見る事が出来ないエネルギーですが、熱として感じる事が出来ます。匂いや味は化学物質が受容体に着く事で感じますが、物質はそれぞれに振動をしています。これらの受容体もその様な振動を感知しているのかもしれません。

 人はこの世に存在する物全てを知覚できません。よほどの強さでなければ放射線を感じる事はありませんし、テラヘルツが話題になっていますが、この周波数も感じる事もありません。

 原子や分子も振動しています。量子も振動していますが人が感知する事は出来ません。

 人が発しているエネルギー、周波数もあります。人の臓器ごとに固有の周波数があり、人の脳波、心電図、筋電図も周波数です。人の感情にも周波数があると言われています。身体を動かせば周波数が出ます、声も周波数、楽器を演奏しても周波数、人の体からは赤外線が出ているとも言われています。

 気と言う物もあります。気が晴れる、気鬱、気が合う、気が合わない、気持ち悪い、気ちがい、正気の沙汰じゃない、気に押される、気に飲まれる、気負い過ぎ、気で勝る、気を呑む、気追いのない。この気は五感で感じる物ではありませんが、感じる物です。この気はエネルギーでは無いでしょうか。

 人以外にも使います、気の良い場所、薄気味悪い場所。気の立っている犬、呑気な猫。雨の気配、秋の気配。

 人は体外からの気、エネルギー、周波数と様々な呼び方がありますがこれらを感知し、影響されます。

 気に影響されないと言う方もいるかもしれませんが、突然大きな音がしてびっくりするとか、騒音の様な音楽を聴いてイライラするとか、政治家や官僚の国会答弁を聴いてイライラする、心地良い音楽を聴いて気が休まる、良い香りでホッとする。これらは外から来た影響です。

 更に言えばテレビやラジオ、インターネットの情報も周波数です。これらが人に及ぼす影響は計り知れません。喜怒哀楽全てが誘発されます。空中を飛び交う電波、電磁波、それらが受信機を通じてもたらす映像、音、情報。人は電波は電磁波を直接情報として感知する能力はありませんが、電磁波を厭う人もいます。

 人は感知できる範囲の情報しか認識する事は出来ません。私の目からパソコンのモニター間に埃が舞っていない限り空としか思えないのです。しかしこの空間には気体の分子が舞っています。更に照明やモニターから放出された光子が飛び交っているのです。その他様々な認識できない物質やエネルギーが蠢いているのです。

 何も無い様に見えて詰まっている空間がここにあります。

 そしてこの空間に影響を受けることも与える事も人は出来ます。

 空気それは空に見えて気の満ちた空間。いつも良い気分でいる事が大切です。

しとわ

 死とは?死と和、私と和。

 死の対義語として生があり、私の対義語として和がある。生が私を生み死が和をもたらす。

 人が自己という物を持った時に「し」という概念が生まれ、和を失い始める。私が強くなればなるほど生に執着が生まれ和から離れる。死を忌むほど生は希薄となり私が和を剋す。

 死は和への回帰であり、生は和からの別離である。生は私への回帰であり、死は私からの別離である。この対立する私と和の対立が無くなった時、人は生と死の対立から自由になり生を謳歌できる。

 生と死の対立は摩擦を生じ、死に至るかもしれない。しかし対立の先にしか光輪は見えない。生まれたのだから。

抗インフルエンザ薬

 健常人に抗インフルエンザ薬が必要か?薬の添付文書によると大方に警告 本剤の使用にあたっては、本剤の必要性を慎重に検討すること。と赤字で書いてある。

 基本的にほっときゃ治る病気だからである。不幸にも年に数百人インフルエンザで亡くなっています。死亡率は高齢者や基礎疾患のある方の割合が多くなっています。抗インフルエンザはこの様な方に必要な薬です。薬を使うと薬剤耐性のウィルスができます。使う数が多ければ多いほど薬剤耐性ができる可能性は高くなります。インフルエンザで亡くなる可能性が健常者より高い方が薬剤耐性のインフルエンザに罹患した場合薬が効かなくなります。薬剤耐性のインフルエンザに罹った時、健常者にとっては熱の期間が一日長くなるだけですが、基礎疾患のある方にとっては永い眠りにつく可能性が健常者に比べ格段に高くなります。なので薬剤耐性ウィルスを減らすためにも抗インフルエンザ薬の使用は必要最低限にする事が望ましいのです。

 やや詭弁にも聞こえますが、詭弁です。抗インフルエンザ薬以外にもインフルエンザに効果のある物があるからそれらを併用すれば良いと思うのですが、そんな事は無視されしまいます。

 さて昨年承認されたゾフルーザという抗インフルエンザ薬。鳴り物入りで登場し、今もテレビを賑わしている様ですが今年の秋にでた研究では12〜64歳の健常者でタミフルと同程度の発熱期間の短縮効果。ウィルスの量は2−3日で少なくなると言われるが、ゾフルーザの効果が弱い種類のウィルスでは5日以降に再び上昇し症状が長引く。ウィルス変異を小児で20%ほど成人で10%ほど発生させるとの報告もあり、これらにはゾフルーザの効果が弱くなるとされています。

 12歳以下の子供と基礎疾患のある人、高齢者ではどうなるかのデータが出ていない。事実アメリカでは12歳以下の適応はありません。

 タミフルより早く効くと言われますが、大差なし。これはイナビルの同じ様です。 

 ウィルスを早く排出しなくなると言われていますが、実際には必ずしもそうでは無い。

 ウィルスを変異させる割合が高い可能性があり、その場合ウィルスを周囲にばら撒く可能性が高くなる。そしてそのウィルスはゾフルーザが効かない可能性がある。

 プロモーションしているほど効果は無く、場合によっては症状と感染性が長期化し、ゾフルーザが効かないウィルスを蔓延させる可能性があるとなります。

 ゾフルーザフィーバーでゾフルーザ低感受性のインフルエンザが大フィーバー、効果ないのに更にゾフルーザフィーバが過熱。熱が上がるのはインフルエンザだから仕方がない。

Ful Full

 インフルエンザが大流行、学校でも介護施設でも。毎年大変だなと思いながら見ている。学校に通っている子供、介護施設に入所している老人が食べている者を聞くと免疫を下げる様な物だらけ。そもそもほとんどの人が率先して免疫を下げている様にしか見受けられない。

 こんな事をしていてインフルエンザどうこう騒いでも意味があるのか?自分から望んで免疫下げて、炎症起こしやすい体を作り、ウィルス素通りのマスクして目は守らず、マスクの下ではぽかんと口呼吸。予防なんてできる訳がない。空騒ぎしてギャーギャー言うだけだから別に意味なんてないのだろう。今年は塩野義の独り勝ちであろう。どこがプロモーションをしたのか?テレビでゾフルーザゾフルーザと連呼させるのに幾ら突っ込んだのか。毎年のインフルエンザ騒ぎを金で買って自分の商売につなげる。

 認知症予備軍の人々がプロモーションに乗って一緒に大騒ぎ。2017年度は抗インフルエンザ薬の売り上げが470億円ほどだった。国民一人当たり400円程、その他に医療機関や薬局に払った金額、予防接種の金額を合わせると1000億円は超えるだろう。

 

がん対策

 日本人の二人に一人は癌になり、三人に一人は癌で死ぬ。 

 癌の医療費は全体の一割と言われている。 

 世界有数の癌大国日本。 

 多くの人はがんにならないためにはどうすれば良いか悩んでいる。 

 他国で癌の原因になるとされ、禁止されていたり、使用が制限されたり、数年後の禁止が検討されているGlyphosate(ラウンドアップ)。 

 カリフォルニアでは裁判で癌との関連を訴えられ負け、その他の国でも使用後に癌や発達障害の発症が増えているとの報告が続々と出てきている。 

 がん対策として一次予防も掲げている厚生労働省、何故タバコにはうるさいのにラウンドアップにうるさくないのか。 

 タバコを買うのには規制があるのにラウンドアップに規制はない。ホームセンターで誰でも買える。 

 多分まだラウンドアップ規制のための特殊法人や補助金の仕組みが出来ていないのだろう。 

 国民の税法による公務員と政治家とその友人のための税金。 国民の不安をネタにうまく巻き上げる方法が出来たら規制するかもしれませんね。 

癌そのものではなく、癌に関わる利権に絡む。国民にとってのがん、公務員と政治家とその友人と医療業界。 

今年は色々と入れ替わりする良い年だと思います。

エナメル質と虫歯とフッ素

 

 虫歯の原因が歯の表面から小さな孔を通って虫歯菌が歯の中に入る事。そして歯の表面には小さな孔が無数にあり、歯髄から歯の表面に物質を輸送しているなんて知りませんでした。まるで皮膚の毛穴の様です。毛穴を塞いでしまったら黒ずんで美しく無い。

 歯の表面にあるエナメル質や象牙質はセメントの様に何も通さない、だからこそエナメル質を丈夫にする事が大切だと考えられています。海外ではエナメル質を強くするためにフッ素を水道水に入れる地域があるそうです。そうすると虫歯が減るという理由の様です。フッ素が体内に入り代謝できないと脳にダメージを与え子供のIQ低下や認知症の原因になると言われています。また骨を脆くしたり、骨肉腫、関節炎、腎機能障害、糖尿病の原因になるとも書かれています。そもそも水道水にフッ素を入れて虫歯が減るのか?水道水にフッ素を入れた国とそうでない国の虫歯の発生数の比較では双方とも虫歯が減り差がなかったと言われています。

 では飲むのではなく歯に直接塗ったり、歯磨きに入れたらどうなるか?飲料水程度の濃度では効かないという理由なのでしょうが、まず歯磨きにフッ素入りの物を使っても虫歯の予防効果は無いという論文が出ています。フッ素を飲んだり、歯磨き粉等で歯に付けたりすると歯のフッ素症という物になります。これは歯に白から茶色の斑点ができて見栄えが悪くなるという物です。虫歯の予防効果も不確かで歯の見た目が悪くなっては意味がなさそうです。

 そもそもフッ素とは何か?フッ素を使うと何が起こるのか?

 フッ素は何かというと細菌や動物の酵素を阻害する物質です。殺虫剤や殺鼠剤として使われていました。濃度が違うかもしれませんがネズミが死ぬ物を口の中には入れたくないですね。ネズミーランドファンには尚更でしょう。フッ素は歯をコーティングすると言われていますが、歯磨き粉や水程度ではそのコーティング効果はほんの一時的な様です。虫歯菌の活動を抑えプラークが減ると書かれている物もありましたが、その為には一時的ではなく常にフッ素が口腔内に無ければいけません。もしフッ素で歯をコーティングし、口腔内の細菌を完全に抑えるためには毒性レベルのフッ素が必要になると考えられます。

 そもそも虫歯菌が口腔内で増殖したり、歯の中に侵入する原因は砂糖を初めとする生活習慣です。フッ素はこれを改善してくれません。フッ素を使うとフッ素症と言われる歯の見た目が悪くなる可能性もあります。これはエナメル質を傷つけるからです。歯の表面は車のボディーとは違います。フッ素は守るはずのエナメル質を傷つける可能性があり、虫歯を防ぐかも不確か。慢性的に体内に吸収されると様々な毒性を持つ可能性がある。虫歯を防ぐには生活習慣の改善が一番。

 みなさんわかっていますよね、甘いものばかり食べると虫歯になると。年に数回食べるくらいなら大丈夫かも。

http://fluoridealert.org

上野原

再び鹿児島へ。

上野原遺跡へ久しぶりに行った。すっかり様変わりをし20年前に行っていた時とは風景が違っている。

少し前に諏訪の縄文遺跡へ行ったが、上野原遺跡と尖石遺跡は同じ様で違う。八ヶ岳と霧島連山は何となく似ている様で八ヶ岳は尖、霧島は丸。おそらく種族も違っていた事だろう。

縄文とは何かを考えると人とは何かに結びつく、狩猟採集民と農耕民の違い。農耕民の延長にある現代人。おそらく明確な線引きは無いのでろうが、自然の動きの中で生きる人々と自然をコントロールし抗う事を考え始めた人々。私はこの点だと考える。

自分は環境の中の一部であり、野生の動物が食物を求めて移動する様に自然環境の周期

に合わせて生きる生き方。自分は環境とは独立した存在であり環境は自分に与えられた物で、好きに扱って良いと考える生き方。

自然を自分の都合の良い様に変えたいと思いながら実現できなかった人間は今日その手法を手に入れつつある。土木工事で河川の流れを変え、山を切り崩し、邪魔な虫や雑草は滅ぼし、面倒な生物の性質は遺伝子を変えて無くし自分に都合の良い性質を持たせる。近年目覚ましい進化を遂げる技術であるが、これは人類の宿願であった。種を自分の所有物だと主張し、自分たちの都合で他の生物を絶滅させる事は当然の権利、環境からの恵みも自分の所有物だと主張するが、自分の排泄物の権利は主張しない。人間の自己意識の無限膨張。

この自己意識を抑制し生きる事を良しとした人と、抑制を解放した人。どちらが自由であるか。自己意識の無限膨張を実現した人間は他の犠牲の上に自由である。その人間の犠牲になった人間に自由は与えられない。自己意識を抑制した環境は自由な環境であるが、自己意識の無限膨張を夢見る人間には不自由である。

私は今日に伝わる自己意識の抑制を続けてきた人々の生き方が好きである。今年は北海道から鹿児島までその躍動を感じた一年であった。

縄文を蹴散らし跋扈した自己意識がこの地球を破壊しつつある、しかし同時に縄文の血脈の打ち震える鼓動を感じる。鼓動が震えとなり自由を取り戻す。

桜島も霧島もマグマの躍動を肌で感じる、畏れつつ抱く生の躍動。

和の医療、人と自然が和の調べを取り戻す。それが癒の原点だと考える。

ふと「診察とは?」

自分のしている診察とは何か?考えている様で考えていなかった事に気がつきました。

これをしなければいけないという考えは私にはあまりありません。診察でも気がつくと人によって違う事を話しています。これは何なのか?

相対性の中でお互いの力学が働き調和が生まれそうな場所を目指す、何とも訳のわからない事ですがこれが私の診察だなと思います。

良く個別医療と言われますが、調和の生まれた時に出来る気は良いものです。いかにその気を保つ事が出来るか。より良い気の状態になる道程を作るそれが治療です。自己治療ですね。

時々道に迷っていないか確かめるのが仕事なのかと思います。

型は無い、あるのは道。

save the people

「AC save the children」の画像検索結果

サチさんは起きている時間の4/9を会社の仕事をしています。通勤の時間に残りの時間の1/9、会社に行く準備や会社にいる時間のうち勤務時間に含まれない時間に1/3、食事の時間に1/9を使っています。残りの時間は何時間あるでしょう。

睡眠時間は6時間です。

サチさんは大学校を卒業され、極々普通の会社に就職アパートに住み、会社での憂さを晴らす為に貯蓄もありません。失業すれば数月で生活が成り立たなくなります。

サラは一日に勉強をする時間がありません。

サチさんは勉強はしましたが自立して生きる事を知りません。

かつての日本でも農作業や兄弟の世話で学校に通えない子供は多くいました、教師の説得によってその状況が改善されたと言います。

多くの女性が教育によってより良い人生を送る事ができたのも事実です。もちろん農作業や兄弟の世話に惑わされる事なく教育を受けた女性もいました。

今日、日本の子供はどうでしょう?学校に通う事は義務、その他に塾や習い事等々で朝から晩まで忙しく、文化的な生活を送っている様です。

朝はパンとジャムと卵、昼は給食、夜はスーパーのお惣菜。食事はほぼ工業製品。土の匂いなどしない清潔な生活。人間も工業製品並みの正確性を求められる。もし災害が起こって放り出されたら食料を集める事も火を点ける事もできない。

サラは水道、ガス、電気が無くなっても、携帯やスマホが無くても生きていけるでしょう。

良い教育を受けて先進国と言われる国で文化的な生活を送っている人間は生きていけません。災害にあっても口を空に向けてギャーギャー騒ぐだけ。

過ぎたるは及ばざるが如し。

パソコンで何ができても電気が無くなれば意味がありません。森や草原で食料を見つけ調理をする事ができなければ、どんなに文明人気取りでも只のばかです。私もできませんが。

何が人の生存にとって不可欠なのか、それを見失っています。

サラの状況は不幸かもしれない、かつての日本でも見られた状況です。無学のために貧しさから抜け出せないかもしれない。しかしサチの状況は脆弱な喜劇。悲しみと喜劇の間に何を見出すか。

我々が直面している脆弱さを直視せずに何を目的に援助をするのか。