イッパンピープル

昨夕白金高輪で歩道脇に腰掛け読書をしていた。色々な人が通り過ぎ、怪訝そうな目で見られていたが他に居場所がないので仕様が無い。コーヒー屋に入っても黴だらけのコーヒー、紅茶も農薬と黴だらけ、ジュースは砂糖だらけ。普段なら飲み屋に入りビールと日本酒だがそれも珍しく控える事にした。

目の前をイッパンピープルがどうのこうのと話す若い男性がいた。口角泡を飛ばす、そんな感じの男性と聴く気の無さそうな男性。泡を吹きながらイッパンピープルが成功できなのはどうのとか、イッパンピープルがダメなのはどうのとか宣っていた。今ふと気がつくと年をとったなぁ。こんな事を書くとは思わなかった。

まず英単語を使うなら全部使えば良いのに、我々一般庶民は、下々の者は、市井の人等々日本語にも色々と類語がある様に思えるが、どうも口調からは自分はイッパンピープルでは無いと思っている様だった。きっと自分が含まれない事を強調しようと不自然な言葉を話していた様に推察される。

今朝は今年の冬にひもじい思いをしない様に朝から先日切り倒した枝を大きさを揃え薪にし、少し菜園の草刈りをした。もっと草刈りをしなければ、菜園をどうしよう、果たして自分の為に木を切る事は良い事なのか、畸形にされた植物を育て食す事は良い事なのかと考えながら作業をしていたのだが。まだ若かりし頃そんな事は考えなかったな、自分はイッパンピープルでは無いと考えていたんだろうなと思った。

周りを飛び交う虫にしてみれば私は闖入者であろうし、食事の対象である。別に私が何を想い何をする人間であろうと関わりはない、蛇が出てくればもし向こうが気に食わなければ咬まれるであろう、自分が先に気がつけば棒で突っついて遠くに追いやる。蜂が飛んでくれば刺されるかもしれない。幸い熊も狼もライオンもいない場所である。

地球は我々が虫けらや細菌に思いを馳せるより思ってくれている。

自分がイッパンピープルだと思えた時、イッパンピープルなど幻想だと知った時に初めてイッパンピープルという概念から自由に成れる。その事にあの若者が気づくのはいつだろうか。

無為自然に人が過ごす自由の訪れを願いつつ。

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