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上野原

再び鹿児島へ。

上野原遺跡へ久しぶりに行った。すっかり様変わりをし20年前に行っていた時とは風景が違っている。

少し前に諏訪の縄文遺跡へ行ったが、上野原遺跡と尖石遺跡は同じ様で違う。八ヶ岳と霧島連山は何となく似ている様で八ヶ岳は尖、霧島は丸。おそらく種族も違っていた事だろう。

縄文とは何かを考えると人とは何かに結びつく、狩猟採集民と農耕民の違い。農耕民の延長にある現代人。おそらく明確な線引きは無いのでろうが、自然の動きの中で生きる人々と自然をコントロールし抗う事を考え始めた人々。私はこの点だと考える。

自分は環境の中の一部であり、野生の動物が食物を求めて移動する様に自然環境の周期

に合わせて生きる生き方。自分は環境とは独立した存在であり環境は自分に与えられた物で、好きに扱って良いと考える生き方。

自然を自分の都合の良い様に変えたいと思いながら実現できなかった人間は今日その手法を手に入れつつある。土木工事で河川の流れを変え、山を切り崩し、邪魔な虫や雑草は滅ぼし、面倒な生物の性質は遺伝子を変えて無くし自分に都合の良い性質を持たせる。近年目覚ましい進化を遂げる技術であるが、これは人類の宿願であった。種を自分の所有物だと主張し、自分たちの都合で他の生物を絶滅させる事は当然の権利、環境からの恵みも自分の所有物だと主張するが、自分の排泄物の権利は主張しない。人間の自己意識の無限膨張。

この自己意識を抑制し生きる事を良しとした人と、抑制を解放した人。どちらが自由であるか。自己意識の無限膨張を実現した人間は他の犠牲の上に自由である。その人間の犠牲になった人間に自由は与えられない。自己意識を抑制した環境は自由な環境であるが、自己意識の無限膨張を夢見る人間には不自由である。

私は今日に伝わる自己意識の抑制を続けてきた人々の生き方が好きである。今年は北海道から鹿児島までその躍動を感じた一年であった。

縄文を蹴散らし跋扈した自己意識がこの地球を破壊しつつある、しかし同時に縄文の血脈の打ち震える鼓動を感じる。鼓動が震えとなり自由を取り戻す。

桜島も霧島もマグマの躍動を肌で感じる、畏れつつ抱く生の躍動。

和の医療、人と自然が和の調べを取り戻す。それが癒の原点だと考える。

ふと「診察とは?」

自分のしている診察とは何か?考えている様で考えていなかった事に気がつきました。

これをしなければいけないという考えは私にはあまりありません。診察でも気がつくと人によって違う事を話しています。これは何なのか?

相対性の中でお互いの力学が働き調和が生まれそうな場所を目指す、何とも訳のわからない事ですがこれが私の診察だなと思います。

良く個別医療と言われますが、調和の生まれた時に出来る気は良いものです。いかにその気を保つ事が出来るか。より良い気の状態になる道程を作るそれが治療です。自己治療ですね。

時々道に迷っていないか確かめるのが仕事なのかと思います。

型は無い、あるのは道。

save the people

「AC save the children」の画像検索結果

サチさんは起きている時間の4/9を会社の仕事をしています。通勤の時間に残りの時間の1/9、会社に行く準備や会社にいる時間のうち勤務時間に含まれない時間に1/3、食事の時間に1/9を使っています。残りの時間は何時間あるでしょう。

睡眠時間は6時間です。

サチさんは大学校を卒業され、極々普通の会社に就職アパートに住み、会社での憂さを晴らす為に貯蓄もありません。失業すれば数月で生活が成り立たなくなります。

サラは一日に勉強をする時間がありません。

サチさんは勉強はしましたが自立して生きる事を知りません。

かつての日本でも農作業や兄弟の世話で学校に通えない子供は多くいました、教師の説得によってその状況が改善されたと言います。

多くの女性が教育によってより良い人生を送る事ができたのも事実です。もちろん農作業や兄弟の世話に惑わされる事なく教育を受けた女性もいました。

今日、日本の子供はどうでしょう?学校に通う事は義務、その他に塾や習い事等々で朝から晩まで忙しく、文化的な生活を送っている様です。

朝はパンとジャムと卵、昼は給食、夜はスーパーのお惣菜。食事はほぼ工業製品。土の匂いなどしない清潔な生活。人間も工業製品並みの正確性を求められる。もし災害が起こって放り出されたら食料を集める事も火を点ける事もできない。

サラは水道、ガス、電気が無くなっても、携帯やスマホが無くても生きていけるでしょう。

良い教育を受けて先進国と言われる国で文化的な生活を送っている人間は生きていけません。災害にあっても口を空に向けてギャーギャー騒ぐだけ。

過ぎたるは及ばざるが如し。

パソコンで何ができても電気が無くなれば意味がありません。森や草原で食料を見つけ調理をする事ができなければ、どんなに文明人気取りでも只のばかです。私もできませんが。

何が人の生存にとって不可欠なのか、それを見失っています。

サラの状況は不幸かもしれない、かつての日本でも見られた状況です。無学のために貧しさから抜け出せないかもしれない。しかしサチの状況は脆弱な喜劇。悲しみと喜劇の間に何を見出すか。

我々が直面している脆弱さを直視せずに何を目的に援助をするのか。

傘は無い

傘は無い

他人の傘が頭に当たる 傘をさす人間の無神経さ

狭い歩道で何故傘を使おうとなどと思えるのか信じられない

傘で何から逃げるのか 自分のひ弱さを隠す傘

雨に濡れて死んでしまうなら 死んでしまった方が良い

いつまでも傘があると思っている想像力のひ弱さ

この国の人間に相応しい愚かさ

傘は無い

この雨は汚いとのたまう 傘をさす人が雨を汚したさ

この地球で何故傘を使おうなどと思えるのか考えられない

傘で汚染から逃げるのか 自分の罪悪を隠す傘

雨に濡れて死んでしまうなら 死んでしまった方が良い

傘の無い生き物を想えない思考力のひ弱さ

この星の人間に相応しい愚かさ

イッパンピープル

昨夕白金高輪で歩道脇に腰掛け読書をしていた。色々な人が通り過ぎ、怪訝そうな目で見られていたが他に居場所がないので仕様が無い。コーヒー屋に入っても黴だらけのコーヒー、紅茶も農薬と黴だらけ、ジュースは砂糖だらけ。普段なら飲み屋に入りビールと日本酒だがそれも珍しく控える事にした。

目の前をイッパンピープルがどうのこうのと話す若い男性がいた。口角泡を飛ばす、そんな感じの男性と聴く気の無さそうな男性。泡を吹きながらイッパンピープルが成功できなのはどうのとか、イッパンピープルがダメなのはどうのとか宣っていた。今ふと気がつくと年をとったなぁ。こんな事を書くとは思わなかった。

まず英単語を使うなら全部使えば良いのに、我々一般庶民は、下々の者は、市井の人等々日本語にも色々と類語がある様に思えるが、どうも口調からは自分はイッパンピープルでは無いと思っている様だった。きっと自分が含まれない事を強調しようと不自然な言葉を話していた様に推察される。

今朝は今年の冬にひもじい思いをしない様に朝から先日切り倒した枝を大きさを揃え薪にし、少し菜園の草刈りをした。もっと草刈りをしなければ、菜園をどうしよう、果たして自分の為に木を切る事は良い事なのか、畸形にされた植物を育て食す事は良い事なのかと考えながら作業をしていたのだが。まだ若かりし頃そんな事は考えなかったな、自分はイッパンピープルでは無いと考えていたんだろうなと思った。

周りを飛び交う虫にしてみれば私は闖入者であろうし、食事の対象である。別に私が何を想い何をする人間であろうと関わりはない、蛇が出てくればもし向こうが気に食わなければ咬まれるであろう、自分が先に気がつけば棒で突っついて遠くに追いやる。蜂が飛んでくれば刺されるかもしれない。幸い熊も狼もライオンもいない場所である。

地球は我々が虫けらや細菌に思いを馳せるより思ってくれている。

自分がイッパンピープルだと思えた時、イッパンピープルなど幻想だと知った時に初めてイッパンピープルという概念から自由に成れる。その事にあの若者が気づくのはいつだろうか。

無為自然に人が過ごす自由の訪れを願いつつ。

熱中傷

暑い中朝から2時間庭仕事、火曜の朝からファスティング中。塩分なし、今朝は一切食べず。

汗は滝の様に出てフラフラに成りながら、ノコギリと斧を振り回す。終わってシャワー浴びてビール飲みたいのに午後から仕事なのでお預け。

食事無しで塩分無し睡眠不足でも2時間くらいでは熱中傷になれなかった。シャワー浴びた後でキントン飲んだのでズルはしましたが。

この炎天下、地震が起きたら自宅まで何時間歩きますか?今の一番近い職場まで30秒、二番目に近いところまで歩いて1時間強、車で15分、自転車で30分弱。橋が落ちたら川を渡らないと。次は東京、歩いた事ありません。東京と心中はしたくない。電気が止まり電車も止まり人だらけの道を歩くなど反吐が出ます。折角心中するならどこが良いか?鹿児島や岩手、青森となら心中しても良いかも。千葉は一緒に死んでくれと言われれば「まあこれも人生よ」くらいか。これが何処ででも死んでやると言えれば西郷さんになれる気がしますがまだまだ。

熱中傷対策に涼しい所へ引きこもれと言われてもいつ何時、退っ引きならない事情で外に放り出されるかわかりません。電車が止まってコンクリの上を数キロ歩かされる、北朝鮮からミサイルが飛んでくる、テロが起きる等々。そんな時に熱中傷になりましたと言っても誰も助けてくれません。電車に乗る、人工密集地に行く、家に自力で辿り着けない場所に行くという事はリスクを伴うという事だとの認識が欠けてしまっています。

子供の頃毎日1時間強歩いて小学校にまで通い、遊びまわっていました。子供の頃良い環境にいた事に感謝しなければいけないと思いました。とりあえず週のうち半分以上は自宅周辺にいようと思います。

たまに休みの暑い日に3時間くらいリュック背負って歩いて見よう。

熱中傷にご注意を。

封印された縄文

神武の東征、ヤマトタケル尊、坂上田村麻呂をはじめとした征夷大将軍。日本を統一するために蛮族を討ち果たしたと言われる。打ち果たされたのは誰か、我々多くの日本人の先祖、縄文人である。日本の歴史は天孫系と言われる弥生人と蛮族と言われる縄文人の争いだった。弥生人は縄文人を隷属させ、律令制を敷いた。中国の制度を参考に大和で日本人が行なったとされているが、中国で律令制を行なっていた氏族が日本に移住をし征服。統治システムを施工したと考えられる。律令制を見ると奴隷制と考えても良い物である。万葉集には租庸調の苦しさが歌われ、防人のために故郷を去らなければならない人の悲しみが歌われている。何故大陸を恐れなければならないのか?何故半島にちょっかいを出したがるのか?

何故中国から盛んに僧を呼び国中に寺を建てたのか?空海は何故日本中を歩き回ったのか?護国と言われるが、国とは何を指すのか?

日本には北から南から様々な民族が流れ込んだ。それらの民族が自分達が長く親しんだ土地に似た土地を求めて移動をした。時には民族間で争いがあり土地を追われた民族もいた事であろう。これが縄文時代である。縄文時代の土器は芸術性が高くダイナミクスを感じる。

弥生と言われる時代、平原では多くの戦乱が起き破れた民族が押し寄せた。九州から山陰にかけて進んだ遺跡が出るのはその為である。その様な民族が原住民を押しのけ、勢力を拡大しお互いに争う様になった。原住民を隷属させ奴隷として使い、中国にまで送った物もいる。平原の国と結ぶ事で優位に立とうとする。平原での争いが日本に移ってきた民族間の争いと関連する。

その中で九州から畿内に勢力範囲を進める部族、それが神武の東征であろう。神武の東征で奈良に入ったものの、各地の蛮族の力はまだ力を持っていた。これを奪いつつ支配をしてゆく。古墳時代と言われるのはその様な過程であったのだろう。大和飛鳥時代と言われる時代は新たに渡来してきた民族が朝廷内に加わり権力争いを繰り返す。そして相も変わらず蛮族は押さえつける。仏教の伝来もその一つである。多くの種族がそうである様に自然に近い生活をする部族は超自然的な力を備える。平原から持ってきた祭祀とはまた違ったものである。仏教を信仰するという事は自分達には祭祀を行う力が無く、守護を外注する事になる。そしてそれを日本中に広め、もともとあった呪術を封印させる。この事に成功した一派は力を得たが、中国、朝鮮半島の情勢にまた大きく翻弄された壬申の乱。

蝦夷の国を除きほぼ制圧すると律令制を敷き蛮族を奴隷化させた。律令制の本、平民と貴族の差、富だけでなく待遇の差を見ると奴隷としか考えられない。

つまり日本にいた縄文人は大陸からの渡来人に征服され隷属され続けている。未だに天孫と呼ばれる渡来人、その周りで権力争いを繰り返した貴族と呼ばれる人間、彼らに雇われた僧侶。今でも名前が残っている。護国が目的で作られた宗教これは蛮族の力を抑え、改宗させ自分達の為に祈らせる事が目的。国分寺は飛鳥時代に国中に仏教を強制する為に、天台宗、真言宗は平安京の守護の為に作られ、空海は日本中を周り寺を作り民を救ったと言われる。彼の目的は蛮族の力を削ぎ、渡来人の王朝を守る事。空海の出自には渡来人の影が見え隠れする。

いつまでもこの国の支配層は伝え聞いている。自分達は蛮族を統べる者だと。一番の問題は蛮族にその自覚が無い事。武士の時代一時的に彼らは困窮したと言われるが、巧みに武士を官位で釣る事で生き抜き明治に一気に力を取り戻した。幕末の外国人から見ると権力のある人間とそうでない人間は人種が違う様に見えたという記述が残っている。大東和戦争で負けようがそれは続いている。大東和戦争それは彼らの自己同一性の源である平原や半島と同一になる理想の元始められた物ではなかろうか?

蛮族を少数の渡来人が統治する、自分達と同じ渡来人を招聘し蛮族の習慣を破壊する。この東征以降続く戦後からの脱却が必要である。取り戻す、今こそ蛮族と呼ばれ続ける縄文人の手にこの国を取り戻す時。

欺瞞に満ち満ちた民放各社、国営放送と同義としか思えないのに公共放送と言い張り国民から収奪を続ける日本放送協会、社会の木鐸と言いながら位牌になっている報道機関。彼らは蛮族を懐古の対象としかみていない、蛮族から縄文人に名称を変えられあたかも滅亡したと思わさせているが、実際には虐げられる人々。それは大多数の日本国民である。

私は右でも左でもない、私見であるが右も左もこの日本という地球という土地から簒奪した物を如何に分けるかにすぎない。簒奪ではなく、もたらされる恵みを無駄なく分ける。

今こそ貨幣と共にではなく自然と共に生きる社会、縄文の復活を。

 

宇宙と森と人

宇宙はビッグバンと呼ばれる光から始まったと言われます。

光の粒子が形を持った物が星となり、恒星はガスで作られ中で核融合が起こる事で輝きます。太陽では水素が核融合する事で輝いてエネルギーを周囲に放散しています。恒星になるほどの重さが無く、恒星の周りを回る物を惑星と呼びます。

地球は塊か?地球は塊ではありません。地下2000kmほどで外殻と言われる熱い流体になります。外の温度が低い所は固体と成っていますが、内部は流体です。そして地表近くでマントルが地表に近づき圧力が下がるとマグマと言われる流体になります。

太陽系が形成され、地球上で海が生れ、有機物、細菌が誕生し光合成細菌が出現し酸素が作られる様になりました。酸素は反応性の高い物質です。この酸素を使う事で生物は多くの有機物とエネルギーを得る事ができる様になりました。地球上、太陽系、銀河系、ひいては全宇宙にある物は全てビッグバンから生まれました。最初に光あり、光が形を変え恒星や惑星になり、恒星の中で新しい原子が作られ鉄までの分子が作られます。恒星が数十億年と言われる寿命を迎えると重い恒星は超新星爆発を起こし鉄よりも重い原子を作り周りに撒き散らす。それがまた集まり恒星や惑星を作り、恒星が寿命を迎えるとまた爆発して撒き散らす。これを何度も何度も繰り返しています。

私たちが食べている炭水化物、脂肪、タンパク質、ミネラルも身につけている金属も全てこうして作られた物です。光が物質を作り、生物が有機物を合成し生きている。有機物はまた無機物に戻ります。その無機物がまた有機物に作り変えられる。言わば地球上で暮らす生物はこの惑星に閉じ込められた物質を使って生きている。隕石が落ちてくる事が無ければ新しい物が入ってくる事はありません。光を除いて。

有機物を無機物から作りだせる物は何でしょう?人体では作る事はできません、工業的に作る事はできますが。動物も作る事ができません。残るは植物です。無機物から有機物を作る事ができるのは細菌の一部と植物です。原始の細菌は地球の内部から吹き出すガスや熱を利用して有機物を合成していました。今でも深海や硫化ガスの吹き出る海中ではこの様な細菌が生きています。しかし限られた場所でした生息できません。その後光合成細菌が出現し光をエネルギー源として使い始めると光の届く所全てが生息場所になります。光合成が始まり酸素が地球に増えると、酸素を使った反応で多くのエネルギーを取り出す事ができる様になり更に進化が進みました。植物が太陽光エネルギーを使い無機物から有機物と酸素を作り、動物は植物が作った有機物と酸素を体内に取り込みこれらを反応させる事でエネルギーを得ています。

現在我々の住む地上では、植物が根から水と無機物を吸い上げ葉で二酸化炭素を吸い込み太陽光のエネルギーを葉緑素で受け、光合成を行い有機物を作っています。これを行うのは昼間だけです。夜は植物も酸素を吸い二酸化炭素を排出しています。

植物が作った有機物を直接食べる、植物が作った有機物を食べて育った動物を食べる事で人は生きるのに必要な有機物を得ています。動物を食べるという事は植物を食べるより効率の落ちる手段です。どちらにしろ太陽のエネルギーと大地の恵みを組み合わせて作った有機物を食べている、作っているのは植物という事になります。

日本では古来、森が大事にされてきました。神社の鎮守の杜、神が住む聖域と言われる森、修験道や古神道の修行の場としての深山、里山や屋敷森といった生活に密着した森。

なぜ森が大切にされてきたか?

鹿児島の桜島は名前通り島でした。幕末の薩英戦争の折り、英艦隊は現在の鹿児島市沖から桜島の反対に回り錦江湾を出ました。今は大隅半島と陸続きとなっているので信じられないでしょうが、これは大正2年の大噴火で溶岩が流れ込み冷えて固まり島では無くなってしまったのです。約100年前の事です。今でも溶岩がゴロゴロと転がり地熱を感じ、地球は岩塊では無く地下に熱いマグマが流れている事を体感できる場所です。大地の恵みは無機物だけでは無く、この熱もあるのだと。

その様な場所に大雨が降ると容易に土石流が起こります。火山灰が降り注ぐ砂地です。保水力なし。しかしこの場所にも植物は生えてくるのです。草が生え木々が生え、森ができ始めます。草が生えては枯れを繰り返すと次第に砂地に土ができます。土に木が生えると木陰ができ更に土が増え、様々な植物が生える様になります。次第に動物が増え始めます。虫が増えると鳥が来る、虫の死骸や鳥の排出物が細菌の餌を増やし、土が豊かになり、更に木が増え森になる。森になると保水力が高まります。土も肥沃になり雨水と共に栄養分が流れ出る様になり、下流に豊かな土地ができます。

今農業を行っている土地はその様な土地です。ナイル側が氾濫する事で土地が肥沃になると言われますが、これはナイル川の上流に森があるからです。日本でも大きな河川の周りに良いと言われる耕作地が広がるのは森の栄養分のおかげです。

良い森は生物多様性のある森です。杉だらけの森は多様性も無く、保水力も弱く、多くの動物を養う事もできません。野生動物が里に降りて来ているのは山の中に食料が少ないからです。雨での土砂崩れも花粉症も野生動物による被害も多様性のある森から杉だらけの森にした事が遠因です。

森が大切にされるのは天と地のエネルギーを動物が使える形に変えてくれるからです。生化学的には太陽の光を浴びても栄養にはなりません。土を食べても十分な栄養にはなりません。太陽の光と土壌から有機物を作る植物が集まる森、肥沃な土地を作る森、水ガメとしての森。

日本人が森を大切にして来たのは、森が我々に恵みを与えてくれている事を知っていたからでしょう。

世界には森を切り開いてしまい、砂漠になってしまった土地があります。チグリスユーフラテス川の流域はメソポタミア文明が栄えた場所です。バベルの塔が立ち天をも恐れぬ事と言われました。砂漠の中に良くその様な文明がと思った記憶がありますが、古代あの地には森があったそうです。森を切り開き、畑にし連作障害で土地が痩せ砂漠になってしまったと言われます。現在北アメリカ大陸の穀倉地帯と言われる場所でも同じ事が起こっています。反対に砂漠に木を植える事で緑化を進める運動もあります。砂漠に木が育つと保水力が高まり次第に植物が生える範囲が増えてゆく。

森と草原、砂漠を比べると森は多くの種類の生物を育む事ができます。同じ森でも極相と言われる針葉樹林より広葉樹の多い森の方が多くの生物を育む事ができます。特に熱帯雨林は生物多様性が高いと言われ、熱帯雨林が伐採される事で多くの生物種が絶滅していると言われます。

自分達の住む場所の上流に豊かな森を持つ事の素晴らしさを感じるでしょうか?

この宇宙はビッグバンから始まり、宇宙にはエネルギーが充ち満ちています。そのエネルギーが物質となった元素が恒星、惑星そして私たちの身体を構成しています。地球上で生物の身体、エネルギー源となる有機物を宇宙のエネルギー地球のエネルギーから作るのは植物です。

植物には動物も必要になります。受粉するために種を運ぶために、動物にとっては植物からエネルギーを得るために行う事ですが。植物にも益があります。その様な相互に益のある関係が多く絡み合うのが森です。高木、低木、下草と植物は高さに階層があり、空を飛ぶ樹上生活をする地表で生活をする動物まで高さに違いから針葉樹から羊歯、哺乳類から細菌まで様々な生物が同じ空間に共存をしています。

人の先祖も樹上生活をしていたものが徐々に地表で生活する様になったと言われています。森で住んでいた記憶が残っているのかもしれません。

森からの恵みを得て生きる事それは人の本来の生き方です。森から直接エネルギーを得るのか、森が作った土壌や保水をした水を使ってエネルギーを得るのかは違いますが元は同じです。森に行くだけで元気になる、これは森に気をもらっているのでしょう。

宇宙から森そして人に流れるエネルギーはどの様に再び宇宙に戻って行くのか。太陽が寿命を迎えた時にこの太陽系に閉じ込められた物質は再びばらまかれます。これは数十億年先と言われています。宇宙まで行かなくとも良い森を維持し育てる事はできます。森羅万象には宇宙が含まれますが、まず良い森を育み動植物の繁栄を祈り良い気を作る。人は気を作る事ができます。生気、気力、正気、気分、元気、気配、短気、怒気、殺気、邪気様々な気があります。気はエネルギーです。人から放出される気というエネルギーをいつも気分の良い物にしている事、これは人から宇宙に直接流れるエネルギーです。

ベジタリアン

私は気が付けばベジタリアンに成っていた。成人するまでは肉を食べていた。両親は何の疑いもなく肉は必要だと考えていて私もその様に食べていた。鳥や豚より牛が好きだった。

進学のため家を離れ、就職をする間に次第に肉は食べない方が良いのではないかと思い始めた。男なんだから肉を食べて体力をつけろと言われたが肉を食べない方が調子が良いことを実感し食べなくなった。次第に魚も卵も乳製品も食べなくなる。

自分の為に動物が命を落とす事も、人工的にホルモン剤や本来食べる事の無い飼料を食べさせられて無理やり作られた製品に嫌気がさした。

自分の人生が余りに無為で他の命の犠牲の上に成り立つことに耐えられなくなっていた。考えてみれば他の生物の犠牲の上に成り立つ命に自分が値すると思うことができるなど傲慢以外の何物でも無い。自分の身に置き換えてみればよい、他の生き物を生かす為に自分の命を絶つ事ができるだろうか?自分がこの為なら命を絶つ事ができると思うものが無ければ、他の命を絶つ事は出来ない。

自分にはそんな物は無い、しかし飢え死にをする気概も無く植物の命を貰いながら生きる事を選んだのだった。

就職をしてしばらくしてそんな思いに至ったが周りの人間は何も考えずに肉を食べ、他の人間を蹴落として生活を成り立たせている。

何故そんな事も考えないのだろうか?野生の動物は植物を踏みつけ歩く事で種子を体にくっつけ運んでゆく、また実を種子ごと食べその種子を便と共に排出する事で種子の運搬に関わっている。植物と動物の共生は植物の再生産を動物が手伝う事で成り立っている。

人間はどうだろう、植物の種はゴミに捨てられる。例え食べられても今の日本では種は下水か浄化槽に入り芽を出す事は無い。さらに品種改良で種子を作っても発芽しない様にされてしまったり、種子を作らせない様にしている。生物の目的である再生産の機会を奪っている。人間であれば生まれながらに去勢されているのと同じである。

人はこの様な物を食べている限り植物に何の恩恵もないどころか植物の生物としての権利を奪い取っている。「木石にあらず。」と言うがこんな事も考えられなければ石と同等の考察力があるのかも不明である。

動物間の共生関係はどうなっているであろう?草食動物を肉食動物が捕獲し食べる事でどの様なメリットがあるか。以前から言われるが草食動物が増えすぎ植生を破壊する事を防ぐ、肉食動物が草食動物の淘汰圧を高めているとも言われている。足が遅いや、持続力が無い、危機を察する事が出来ないと言った個体から肉食動物に食べられていくと生き延びるのに優位な個体が残されていく。

現在人が食べている肉はほぼ肉として食べられる為に自然の環境からはかけ離れ、肉になる為に最適にいじられた動物だ。再生産など望むべくもなく自然のサイクルの中に入る筈もなく、只々人間の都合で産まれ、食べさせられ、大きくさせられ、殺され肉になるそれだけの存在。

人がその様な肉を食べる事で自然に対して良い事は野生の動物の乱獲をしないでいるくらいである。そのせいで人は人口の爆発を招いている。

その様な動物の本来あるべき姿から自分の都合で変えた肉を食べても、人は共生関係を保っているとは言えない。

そんな事を考えてみたところで所詮私は毎日何の役にも立たない、只人の世を何となく生きて、食べる為に仕事をし、日々無為に生き存えているだけ。

何のために仕事をしているのかもさえわからない。紙の上でゴチャゴチャ捏ねくり回し、これが無いといけないと人が思い込んでいるいる物を作り、紙に数字が書いてある価値があると思い込まされている物を受け取るだけ。本来的に生きる為にしている事は何も無い。

只々惰性で生きている、ひょっとしたら自分も家畜の一部なのでは無いかとよく思う。本来の食べ物では無い物を与えられ、飼い馴らせれ死んでゆく。まだ肉にされる動物の方がマシかもしれない。自分がいる事で人間が天然の貴重な資源を食べ尽くさないでいられると思えた方がよっぽどましだ。社会の中で飼いならされた人間に本質的な生きている意味などない。

ベジタリアンなど唯の偽善だ、オーガニックも同じ偽善。社会の中でその枠組みの中にいる限り全てが無為でこの宇宙という共同体を汚す物でしかない。

いくらベジタリアンだオーガニックだと言っても植物や動物に再生産をする過程でそのおこぼれに預かるという考えが無ければ同じ穴の狢。

花についた虫を嫌う、これは植物の再生産にケチをつけている。葉に虫が食った跡がある。植物は有機肥料の塊だ、虫や最近の死骸、果ては脊椎動物の死骸が循環されている。人間の骸も同じである。

只の動物が人間様と言っている限り人は家畜に成り下がるしかない。人は地球という環境の中で他の生物と同様に、人為的な所作を必要とせずに再生産を繰り返す生物だと認識した時に初めて生物として自立できる。紙の上の文字の羅列など人の生存には意味がない事を思い出さなけらばいけない、そんな物は只の言葉遊びで暇な時間に楽しむ物だと。

HPVワクチンから

HPVワクチンによる詐欺に最も被害を受けたのは日本だという記事です。こんな記事が海外に出ているなど驚きました。日本のニュースではどうなのでしょうか?

書かれているのを読むと認可の過程で十分な議論がされていなかったのではないかと書かれています。医薬品の認可には慎重さが必要だと思います。

今色々と行政の問題がニュースを賑わしています。この状況ではHPVワクチンの問題に限らず最近行われた行政の意思決定に不自然な点がないか?各々の分野で考える必要があるのではないかと思います。

信じられない行政にこそ国民の監視が必要です。監視されるべきは公権力を持つ立場の人間で、市井の人ではありません。

http://healthimpactnews.com/2018/japan-leading-the-world-in-exposing-fraud-with-gardasil-hpv-vaccine-injuries-and-deaths/